近代長岡の立て役者「三島億二郎」

 河井継之助記念館の館長の稲川さんから約2時間、三島億二郎の生き方についてのお話を聞きました。
 明治維新の頃の近代長岡の三傑と云われるのが、米百俵小林虎三郎、峠の主人公の河井継之助、そして国漢学校や洋学校、日赤の前身の長岡会社病院、北越銀行の前身の六十九銀行、そして北海道開拓を成し遂げたのが三島億二郎です。
 長岡の人も、全国的にみても3傑の内で一番知られていないのが、この三島億二郎かと思います。
 億二郎はこの3人の中で一番早く生まれ、そして一番長生きをした人物ですので、前述したような沢山の功績あり、現在の長岡の礎を築いたのは億二郎といっても過言ではないと思いますし、米百俵の精神を実践したのは小林虎三郎よりも長生きをした億二郎であると思います。しかし、地味で真面目な性格なのか余り目立たなかったのも事実のようです。
 話の中で『学問は修身である。自立、自尊の心を育てる事。つまり他人に世話になることなしに自給自足を貫き、貧しいからと言って誇りを捨てることなく、一生懸命努力する前向きの精神が大切である。その精神を培う事こそが真の学問である。』という考え方に一番感銘を受けました。
 昨今の学問は知識だけを詰め込んだり、スポーツであれば強くなれば良い!という考え方が強く、人を出し抜いたり、ずるいことをしても勝てば良いという考えまでが横行してしまっており、大変寂しい限りです。
 億二郎はしっかりした信念を持ち、例え誰かに後ろ指を指されても迷うことなく頑張り通し、晩年は老骨に鞭打ちながら北海道開拓に命を捧げた、正に天晴れな生き方をした人物であり、私の理想とし尊敬する人物です。
 来週は億二郎が開拓した町、北海道江別市を議会の委員会視察で訪問します。今回は一寸無理を言って、億二郎所縁の「瑞雲寺」と「野幌神社」に参拝させてもらうことになりました。今から楽しみであると同時に、億二郎の精神がどのように北海道の地で行き続けているか勉強してきたいと思っています。