中越沖地震 Ⅴ

地震当初の避難所

 毎日のように報道されている柏崎市の避難所の様子。「支援物資」「お風呂」「暑さ対策」「食中毒」「水分補給」「エコノミークラス症候群」「高齢者の健康管理」そして「心のケアー」等をテーマに報道されている。避難所生活が長期化すればするほどこれらの問題は深刻化すると同時にまた新たなる問題が生じてきます。
 余震も収まりつつあり、大きな余震も予想されないような状況になった時点で出来るだけ速やかに避難所の閉鎖を考えるべきではないかと思います。実際に避難所に居なくても自宅へ戻って生活できる方々は少なくないと思います。
 私の経験から言えば、中越地震の時、私の住んでる栖吉地区には、小学校、中学校そして1つの保育園が市職員、全国から駆けつけてくれたボランティア等が管理運営した公設の避難所として最盛期で1,600人程の避難さて等方々を受け入れていました。内訳は小学校に800人、中学校に700人、そして保育園に100人でそれぞれの施設は足の踏み場も無い程でした。
 その後自主的に帰宅される方が出始めたので、3週間後に少人数の保育園から徐々に閉鎖していこうということを地域の方々と話し合い、閉鎖3日程前に避難されておられる方々にそのことを告示し、同時に地区防災センターである小学校に移動スペースを用意してもらいましたが、実際閉鎖するとそこにおられた方々はほとんどが帰宅され、準備したスペースには移動されませんでした。中学校を閉鎖した時も同じ状況であり、結局小学校の避難所を閉鎖したのは、応急仮設住宅の鍵を渡した12月上旬、地震発生から6週間後のことであり、長岡市内で一番最後まで開設していた避難所となりました。

 このことから避難所は果たして必要なのか?そして避難所でお世話しなければならない対象者は一体どういう方々なのか?学校の体育館が避難所として適しているのか?等々の疑問がわいてきました。
 震災当初は当然大きな揺れに恐怖感を抱き、そして揺れる家屋で一人で、そして家族だけで過ごすことの不安感は理解できますが、2〜3日して落ち着いたら、家の耐震性に問題ないので有れば電気が復旧した時点で、出来るだけ早めに帰宅してもらうような誘導が必要ではないかと思います。
 当然帰宅しても家具等が転倒したりして居場所がないという理由も分かりますが、それらはいつかは片づけなければならない訳ですので、出来るだけ速やかに片づけ対応してもらう必要があると思います。また、高齢者世帯などは片づけが出来ないので帰宅出来ない場合は、ボランティア等の協力を得ることも必要かと思います。また、どうしても帰宅できない方はより住環境の良い場所に移動してもらいそこで過ごす。或いは、家屋が倒壊してしまった方などは応急仮設住宅の完成を待たなくても民間借り上げアパートに随時入居してもらう対応が必要と思います。

 避難されている方々が居るから避難所を開設しているのではなく、1日も早く避難所を解消することが復旧、復興を推進する上で大切なことだと思います。