平和の誓い・平和祈願祭

先生と生徒達

 今朝8時から平和の森公園で平和の誓い・平和の祈願祭が行われました。
 長岡市は昭和20年8月1日夜10時半頃、米国の爆撃機B29が16万発もの焼夷弾を投下し、市街地の8割を消失すると同時に千4百余名も命を奪い去りました。
 昭和59年8月1日、長岡市は世界の恒久平和維持への願いを込めて「非核平和都市」を宣言しました。

 式典の中で、当時小学校6年生で現在加茂市在住の石澤郁子さんが、万感込み上げる声で62年前の悲惨な空襲体験をお話しされました。空襲後母は「物や家は燃えて消えてしまっても、人間の記憶(学んだこと)や気持(感情)は決して死ぬまで消え去らない、女の子でも一生懸命勉強することが大切だ!」と言って学問の道を薦めてくれた。というフレーズがありました。正に長岡の米百俵の精神、そして「物より思い出:気持ち」が大切であることを再認識させられた非常に感動的なお話しでした。
 毎年のことですが8月6日に広島を訪れる中学生の代表そして100名余りのこどもたちも参加してくれますが、もっとたくさんの市民から参加してもらい平和の誓い・戦争反対!を宣言しなければならいとも思いました。

 地震と戦争比べるのはおかしいかも知れませんが、3年前の中越地震の後市街に住む戦争を体験した叔父を訪ねた際「長岡市民は空襲の時のことを忘れたのか?役所がそれなりに配給してくれてるのに、食べるものがない!快適に眠れない!風呂に入れろ!など我が儘を言うばかりで、感謝の気持ちを表す人がいない!空襲の後は食べ物も住むところも皆自分たちでどうにかした。親を亡くしたこどもまで、一人で生きていかなければならなかった時代だった。震災でいただける義援金を配分するのではなく戦争で困っている人たちにやるべきだ!」と言われたのは今でも記憶に残っています。
 平和に浸りすぎて自由と平等を勝手・我が儘にすり替えて解釈する人が多くなった現代、平和のありがたさを何かの機会にきちんと認識する努力をしなければならない時期かとも思いました。