花火と平和

ナイアガラ

 今年初めての「天地人花火」は圧巻であった。これでもかこれでもかと言わんばかりに眩しい程の銀光が覆い被さるように降り注ぎ、カメラで撮ろうにも露出オーバーで撮れない程の明るさである。音も身体を揺する程の迫力、正に花火は「音と映像」の競演である。
 きっと昭和20年8月1日の夜10時半からの長岡空襲も、この花火のように辺り一面を眩しくするほど壮絶であったのだろうと想像する。
 以前「中東からのやってきた技大の留学生に花火を見に行かないかと誘ったが、空爆を思い出すので行きたくない!」という技大の先生の話を思い出した。
このように花火の音と光は、時と場を変えれば、戦時の爆弾、戦場の状況と重ね合わすことは容易であると思う。
実際に戦争を体験しない団塊の世代以下の我々にとって「花火は楽しむもの」と思っている人が殆どだが、「花火の様」は、戦争や空襲を体験した人たちにとっては、あのおぞましい空襲を思い出させるものと感じられる方もおられるのではないかと思う。

 花火見物をした我々は、今の長岡、日本が平和だからこそ花火を上げることが出来るのだという「有り難さ」に感謝しなければならないと思う。 
 2日間で花火を見物した人の総数は85万人で過去最高を記録したとのことである。花火の打ち上げや花火大会に要する経費は2日間で2億円、殆どがスポンサー企業や市民の寄附によって賄われている。
 10号(尺玉)は1発4万7千円、天地人花火は800万円、そしてフェニックスは13000万円とのことだが、僅か一時の光と音に「花火はもったいない」と感じられる方もおられるかと思うが、この花火を見て平和の有り難さ、大切さを思い感じてもらえれば決して高い物ではないと思う。
物を壊し、人を傷つける爆弾、それを運ぶ軍用機の経費を平和の証の花火に変えたら毎日のように花火大会が開催でる。
 現在、長岡花火は災害からの復興をテーマに、中越地震以降「フェニックス花火」を打ち上げて来ているが、全国に先駆け「非核平和都市宣言」を行った長岡市は、今後より一層「長岡花火」に平和の思いを託し、全国、世界に発信していかなければならないと思った。