玉川温泉 2

hiroshikaro2008-09-18

 9月10日のブログで「玉川温泉 1」を記しました。
私は今月初めに玉川温泉に行き、そして温泉に浸かって何か一皮向けたような気がしています。
 世の中平和になり、それと同時に社会福祉が充実し?「自ら努力せず」に生きていける社会になったことは幸せなことと喜ばなくてはならないと思いますが、この「自ら努力せず!」が当たり前になり、我々現代人は、全てのことを社会や人に委ね過ぎてはいないかと思うようになりました。
 今の医療は「大病に罹り、医者にかかり、医者の言う事を信じ治療を続け、そして医者が匙を投げれば、死を覚悟し、自ら生きようと努力もせずに自分の寿命はあと何日と諦めてしまう。」これが現代日本人の当たり前の姿であるように思えます。
しかし、玉川温泉を訪れる人たちは、生きる希望を捨てず、自ら生きようと全身全霊を賭して努力する人たちであり、本来の生き物の姿であると思います。
しかし、科学を学び知識をつけた理性人であればある程、科学では証明できないことは無意味な事と諦めてしまう。自らが持つ生きる力、治る力:自分治癒力を信じずに、それまで学んだ知識や医者と言う他人の判断で自らの寿命を決めてしまう帰来があるように感じます。

 生きる事は自らに課せられた課題であり、自ら生きる事を諦めれば、自らの人生は終わりです。知識で生きてきた人にとっては、格好悪いかも知れませんが、死に対して恐れ、死を嫌い、死を前にじたばたすることは生き物として至極自然なことであり、今の人間、特に平和に浸っている日本人には、最後の足掻きやモガキをしなくなってしまったのではないかと思います。
 科学万能主義、薬や化学療法が現代医療の中心をなしている今、自分治癒力等信じる術も無いかも知れませんが、その自分治癒力こそが一番大切なことであり、その力を発揮すれば1日、そして1週間、1ヵ月、1年と生き延びる事が可能であるということを玉川温泉の訪問で教えてもらったような気がします。
 今の福祉政策、そして行政のやり方も、市民自らの力を発揮させないような政策ばかり、ただ飴:お金を上げて対応するものが多いのではないかと思います。そして、その政策は金ばかり掛かる政策となってはいないかと思います。
 自立する力:自分力を高める政策こそが、閉塞感を感じている今の政治、行政に求められている事ではないかと認識した玉川温泉でありました。