三宅島 2

雄山中腹のガスで枯れた木々

 三宅島は平成17年11月に訪問して以来今回が2回目、4年近く経過してどのように変わっている大変興味があった。
 三池港周辺は未だ火山ガスの危険区域に入っているため人が住んで居らず、火山噴火、そして火山ガスの影響で朽ち果てた建物は、放置されており正に瓦礫の山状態で17年当時と余り変わっていなかった。

 港に隣接している空港も再開されたが、今は火山ガスの影響で飛行機は飛んで居らず閑散としていた。
 島を周回している延長31kmの都道周辺の店は、17年当時に比べ営業している店も多くなったが人通りは相変わらず少なく一寸寂しさを感じた。
 このような状況を見るにつけ我々が経験した地震や水害の復旧に比べると目には見えない「火山ガス」との戦いは正に長期戦であり、加えて目標がなかなか見えない災害であると感じた。
 火山ガスというだけで、島外の人たちの足は遠退き、特に子ども連れの人は少なく、大人や年配のグループが殆どであった。

 昭和に入って昭和15年、37年、そして58年と22年の周期で爆発してきた三宅島、そして前回の平成12年の爆発で、これまでの22年周期が今後どうなるのか分からない状況である現在、将来的に島の人たちの生活が守られるのか?一寸心配になった。