村祭り

hiroshikaro2010-07-17

 今日は、地元中沢町の鎮守様「諏訪様:堂様」のお祭りです。氏子関係者、町内会、農家組合、そして日清、日露、大東亜、太平洋戦争で亡くなられた遺族関係者が集まり、神様と英霊にお祈りしました。

 私が子どもの頃の堂様のお祭りは、7月17日で曜日には関係ありませんでしたが、いつの頃からか勤めの都合で、7月の第3土日になりました。今年は丁度7月17日、京都の祇園祭と同じ日になりました。
 昔は、夜店:縁日が十店以上も出て、百円玉を何個か握りしめ、一つ一つの店を回り、好きなものを買ったものです。
 学校から帰ってくると親戚や父の友人が我が家でお祭りの直会(なおらい)をやっていました。
 きちんと挨拶をすると、それなりのお小遣いを貰えましたので「本日はようこそ!」と形ながらの挨拶をしました。そして、直ぐ様、堂様まで行き、まずは店が何軒出ているのか?どんな店が出ているのか?と調査をし一度家へ戻ってきます。
 当時は三ツ矢サイダーが全盛の頃で、サイダーを一本飲んで、再度堂様へ
 今度は仲間と一緒になって店回りをして、買いたいものを品定めしまた家へ戻ってきます。新たなるお客が居ればまた、挨拶をして???
 夕食を済ませてからが、いよいよ本番、狙いをつけたものを買ってひと満足、七時過ぎからは「中沢町舞友会」による稚児舞が行われ、子どものころから舞友会の親分であった父はいつもオオトリの八岐大蛇を退治すると須佐王の皇子役で登場していました。
 今は、夜店も育成会が主催する綿菓子やさんやお好み焼き屋さんに代わりましたが、稚児舞は今もなお伝承されています。
 世間一般の風景は私が子どもだった頃の四〇年前とは隔世の感がありますが、堂様だけは昔と殆ど変っていません。御宮を無くして宅造をした町内もありますが、いつまでも変わらない御宮を今後も皆で守って貰えたらと思いました。

   舞が行われる舞台