現場の政治家

 今日の新潟日報紙面では、菅総理大臣の東日本大震災で被災した現地入りの賛否が記載されていました。
 「来ていただいて現場の声を聞いていただき良かった!」「テレビで見るより優しそう!」
 「現地などに入るよりも、早く補償等の問題を具体化すべきだ!」「現地入りが遅過ぎる、いまさら何だ!」というような賛否両論がありました。
 しかし、本来政治とは何か?と考えると「光の当たらない所に光を当てること!」ではないかと私は常々考えています。
 そういう意味からすると、まず政治家の役目は「光のあたらない場所、当たる場所を自らの目でしっかり確認すること」ではないかと思います。
 私の意見としては、菅総理大臣の現地入りについては賛成ですが、時期的にはもっと早く入るべきであり、入る場所については、既にマスコミ報道されている避難所や市町村ではなく、マスコミ報道されない場所に入るべきではなかったかと考えます。

 東京電力原子力安全保安院、そして原子力安全委員会など一寸意味不明な記者会見同様、枝野官房長官は、記者会見が日課のように毎日会見をしていますが、現場の指揮を執るリーダーである官房長官こそ、会見はさて置いて、現場をつぶさに見に行くべき役職であるかと思いますが。

 さて、一昨日から統一地方選挙が始まりました。
 自分たちに一番身近な政治家である市町村議員はじめ県議会議員の選挙です。
 東日本大震災の報道に支配され、統一地方選挙への関心はなかなか高くなりません。東京都知事選にしても石原、東国原、渡辺といった有名人の対決にもかかわらず未だ盛り上がりません。
 昨今のタレントや有名人が立候補する国政選挙に比べ、地方議員の立候補者は確かに地味な候補となっておりますが、現場に住む、現場を一番良く知っている、そして実際に会ったり話したりすることが出来る政治家を選ぶ選挙であり、そして自らの生活に直結する政治家を選ぶ選挙ですので、有権者はしっかりと候補者を見極め選挙してもらいたいと思います。
 「市議会議員なんか何も出来ない、何もしていない!」と私は以前批判されたこともありましたが、身近な政治家がしっかりしなければ政治は変わりません。
 それ以上にその政治家を選ぶ市民、国民がいい加減な気持ちでは、政治は変わりません。
 一億総無責任時代、我々今に生きる者として、今の時代に責任を持って、しっかり政治家を選ばなければならないと思います。