バルトの楽園:『第9』日本発祥の地 鳴門坂東

中央図書館講堂

 本日長岡日独協会主催の映写会で『バルトの楽園』を見てきました。日独協会の映写会は今回で11回め50名を越す人が中央図書館講堂で2時間15分の映画を楽しみました。
 バルトの楽園とはまずどういう意味か?と思考しました。バルトはドイツの北の海バルト海からとったも?そこに楽園を築いたのか?との先入観でしたが、全く違っていました。
 バルトはBARTで髭の意味、主人公の松江所長は見事な「カエザル髭」をたくわえていました。捕虜となったドイツ人少将は、その髭は似合わないと松江所長を中傷しますが、松江は『髭は会津士の魂の象徴』であると言い返します。
 また、楽園はらくえんではなく「がくえん」とルビがふってありましたので、楽団と楽園をもじったのではないかと思います。
 映画を見終わって感じたことは、このバルトの楽園のテーマは、『髭=誇りと人権を尊重され、自らの文化(音楽、印刷、パン焼きなど)を捕虜生活の中でもきちんと人間らしく実践すること、させてもらったことの幸せ』ではないかと思いました。
 また、それぞれ立場はあるが、その立場を守りながらも、人間にとって一番大切な『人権や誇り』知恵を使ってを守抜いてあげ、真の人間交流が実現できた松江所長の『妙』を学んだような気がします。
 
 2年ほど前にこの舞台となった徳島県鳴門市 坂東を訪問しましたが、生憎『鳴門ドイツ館』は工事のため休館で、がっかりしましたが、隣の四国八十八カ所の札所にお参りに行き、茶屋で話し合った 札所巡りの先達さんから徳島駅まで親切に車で送ってもらったことを思い出しました。坂東の人たちのドイツ人捕虜をやさしく受け入た心は今もなお健在のような気がしました。
 あらすじは以下の通りです。
 1914年、第一次世界大戦で日本軍は、ドイツの極東根拠地・中国の青島(チンタオ)を攻略した。ドイツ兵4700人は捕虜として送還され、日本各地にある収容所に収められる事となる。
 厳しい待遇が当然な収容所の中で、奇跡の様な収容所が徳島にあった。板東俘虜収容所の所長を務める会津人の松江豊寿(まつえとよひさ)は、陸軍の上層部の意志に背いてまでも、捕虜達の人権を遵守し、寛容な待遇をさせた。捕虜達は、パンを焼く事も、新聞を印刷する事も、楽器を演奏する事も、さらにはビールを飲む事さえ許された。また、言語・習慣・文化の異なる地域住民の暖かさに触れ、収容所生活の中で、生きる喜びをみいだして行く。
そして、休戦条約調印、大ドイツ帝国は崩壊する。自由を宣告された捕虜達は、松江豊寿や所員、そして地域住民に感謝を込めて、日本で初めてベートーベン作曲『交響曲第九番 歓喜の歌』を演奏する事に挑戦したのであった。