今回の選挙で感じたこと Ⅲ

 立候補者には2種類ある。1種類は現職や元職そして、もう1種類は新人である。
 現職や元職を評価するのはそれまでの4年間、8年間、---年間の実績である。何を議会で質問してきたか?何を実行してきたか?という「過去形」がまず大切であり、そしてこれから何をしたいかという「未来形」も大切であると思う。
 一方新人を評価するには、議員になって何をしたいか?自分は何が出来るか?という「未来形」のみであり、「過去形」がない分、新人は現職に比べハンデを抱えているが、現在のような閉塞感のある時代においては、有権者の新人への期待「何かやってくれるのではないか?」も大きく、今回の長岡市議会議員選挙で苦杯をなめた候補者の数は、新人4、現職4の同数となっている。
 では、現職、新人それぞれの立候補者の「過去形」「未来形」を有権者は一体どのような方法で知ることが出来るか?というと。現段階では投票日4日前に新聞折込等で配布された「選挙公報」、街宣車による連呼?街頭演説、ポスター等となっている。
 その「選挙公報」は立候補者の創意工夫が凝縮されているものであると思うが「過去形」や「未来形」を知るには少な過ぎる情報でしかない。
 因みに新潟県議会議員選挙では、選挙公報が費用対効果からみて価値がないような判断から発行されなかったことから見れば、発行されたということだけでも評価できると思うが、もっと詳しいそして有権者の投票判断がきちんとできる情報量ではないと思う。
 ある人の言を借りれば公営掲示板に張り出される「選挙ポスター」の顔を見ればその人の性格、人間性、実績等が分かるというが、凡人はなかなかそうは行かない。
 選挙の区割りや1票の格差を見直すことも大切なことであるが、立候補者の人となりをより詳しく有権者に知らせしむことことが真の選挙改革ではないかと思うが---【明日に続く】