三宅村の方々との交流

長岡市議会本会議場

 午前中三宅村の方々を本会議場そして千歳(せんざい)の仮設住宅解体現場そして罹災者公営住宅を案内しました。三宅島の全島避難の際には、仮設住宅は一切建築されなかったとの報告。また、長岡のようにそれぞれ集落ごとに仮設住宅が割り当てられ、避難時でも自治機能が発揮されていたことに感心されておられました。

 三宅村は東京都、全島避難しましたが、島民(村民)の中には、都内にある親戚縁者を頼って避難された方、都営初め公営住宅の空き室に入居された方など、島民ちりぢりになったとのことでした。また、今回お見えの方々は議員の方々が中心、避難時に改選を迎え、ちりぢりになった島民を回り選挙を戦ったとの話も聞かせてもらいました。
 避難の期間が長かったため、2年前に避難解除となった際も、子どもの学校の問題や都内に避難している間に新しい職に就き職場の問題等で帰島出来ない方、また役場職員の方の中には単身赴任で帰られた方など、離島であり、船で7時間近くも掛かるため帰島が思うように進まず、また家族がばらばらになってしまうような状況もあり、本当に災害がもたらした不幸であると思いました。
 長岡名物 小島屋の布海苔入りにそばを食され皆さん元気に東京に向かわれましたが、三宅島に向かう船は夜10時半出港とのことで、東京に着いてから3時に新橋の全日空本社を訪問し三宅島への航空便の再開の陳情に行き、その後、漁協の職員の面接試験に立ち会い、そして母校大学の同窓会に出席してから乗船されるとのハードスケジュールにびっくりしました。
 是非今度は子ども達を連れて三宅島に来てください!言われ再会を誓って別れました。