中沢のお祭り

 今日は私の出身地中沢町の諏訪神社:通称堂様のお祭りです。出身地といっても隣の町内ですので目と鼻の先です。
 私が高校を卒業するくらいまではは7月17日と日が決まっており、家には親戚や父の友人が集まり、大人達は仕事を休み、町をあげてお祭りしたものです。学校を終え帰ってくると家では大人達が賑やかにご馳走を食べたり、お酒を飲んだりして楽しくやっていました。大人達からお小遣いをもらい、神社前に立ち並んぶ出店:屋台に飛んで行くのが何よりの楽しみで、小学校低学年の頃はクジ引きに夢中になったり、ロケット花火をしこたま買い集め東西に分かれ戦争ごっこをしたのが思い出されます。また、毎年出店の数を数えてよそのお祭りと比べるのも楽しみでした。一番多く建つのが中沢であって欲しいと願うのが常でしたが、街中に行けば中沢の何倍も多くの出店があることを中学生くらいなって知ることになりましたが・・・
 今も継承されていますが、夜の7時頃から神社前の広場に建てられる舞台で「武勇会」による「舞」が奉納され、9時頃にクライマックスを迎え『須佐皇尊の八又の大蛇退治』をストリーにした舞が奉納されました。父は酒をしこたま飲んでも、そのクライマックスの主人公須佐皇尊を演じるため舞台に立ち見事に演じたことも思い出されます。舞が終わってもお祭りの余韻を楽しみながら友達と夜遊びし10時半頃に帰宅するのが常でした。
 今日は前夜祭ということで、1時から堂様で町内関係者が参加しての神社の神様のお払い、その後平成14年に戦争で戦死された方々をお祀りすると同時に、平和を感謝し、戦争は絶対起こさないことを誓い、父が中心になり氏子の方々から寄附を仰いで建立し、揮毫は森市長にお願いしました「平和の碑」のお払いをしましたが、参加された方の中で遺族関係者は私のみ、今後誰が中心になって戦没者の方々のお祀りしていくのか?本当に心配になりました。
 その後中沢公民館に場所を移し、町内会の有志がが丹誠込めてビール缶で作り上げた御輿のお払いをし、直会(なおらい:神様に奉納した御神酒をいただく)をしました。直会の参加者も年々少なくなり今年は10数名で今後どうなるのか?本当に心配になることばかりでした。
 今に生きる大人として「神を崇め、先祖を敬うという日本人にとって大切な教え」をお祭りをすることで子孫に伝承していく役目を認識し頑張らなくてはと思いました。