ワークショップの薦め!『子どもの安全といじめ』

hiroshikaro2007-09-10

 先週土曜日のPTA研修会のワークショップで「子どもの安全・事件事故」というテーマについて8名で話し合いました。
 8名それぞれから発表があり、『地域で積極的に取り組んでいるセーフティートロール事業』『放課後の児童クラブ』『自転車での事故』『通学路での安全』『不審者対応』など色々な話が出されました。集約すると

①子ども自身の危険察知能力の向上
②自分の身は自分で守るという自己防衛能力の向上
③親が子どもの安全に対してもっと責任を持つべきである
④全国各地で起こっている事件・事故を他山の石として見ず、自らの問題として取り組むことは大切であるが、都会で起こった事件・事故が長岡を舞台にして同じように起こるうる可能性は少ないのではないか、もっと自らの地域に即した事件・事故への予防対策が必要であり、それ以上にいかなる事件・事故に巻き込まれないような対策をいつも皆で講じ続けることが大切であると思いました。
 そんな中、子どもの危険察知能力の向上とは言ったものの、親や大人達は果たして危険察知能力が備わっているのか?あの地震の時の対応を振り返って見るに、行政で色々防災グッズや食糧の準備を謳っていても、きちんとした防災準備がなされていなかったため長岡市では4人に1人が避難所に駆け込んだという状況を見るにつけ、大人の危険に対する準備・対応はまだまだであり、まず子どもに対して言うより先に、大人自身の自覚が大切であると思いました。
 また、『大人と子どもの違い、子どもはいつから大人になるのか?大人と呼ばれている我々親は果たして真の大人といえるのか?』との疑問も沸いてきました。
 社会が安定し平和で幸せな現在社会、強さよりも優しさ、ゆとり、癒しなどという言葉がよく使われるようになった現代於いては、皆、社会が自らを守ってくれるという安心感から、自ら強なる必要がくなくなったと皆錯覚しているよな気がします。
 いじめの問題も同様です。いじめのない社会は理想です。社会全体で、いじめをなくそうと!とプラカードを掲げても皆で力説しても、いじめ問題は解決にはなりません。一歩世界に出れば言葉の違い、肌の色の違い、人種、民族、宗教の違いからくる差別が当たり前であり、その差別がいじめ戦争となって現れています。つまり、いじめに対しては、いじめをいじめと思わないような強い人間を育てることが大切であると思います。大人も含め今の日本人に期待されることは「いじめに負けない強い人間」を育てることではないかと思います。
 安全といじめられないとい安心感は、社会が与えてくれるものではありません、自ら勝ち取るものだと認識し、自らの安全、子ども、家族の安全について、もっと自ら強くなり能動的に取り組んで行かなければならないと思いました。
 短い時間でしたが色々なことを考えさせられた良き機会となりました。