食糧自給について考える

 昨日、今日とNHKスペシャhttp://www.nhk.or.jp/special/で米の特集http://www.nhk.or.jp/special/onair/071015.htmlをやっています。安くて旨いそして安全な米がアメリカ、中国などで栽培されており日本市場を狙っているとの警告がなされております。もしWTOの協定で、関税なしに日本の価格の3分の1で日本に入って来たら?との質問も出されています。
 現在日本は、総需要量の約10%にあたる77万トンの米を輸入していますが、それらは、ほとんどが加工米つまりせんべいはじめ米菓の原料として輸入されています。しかし、これからは生食用として輸入される可能性があり、そして今後その量はますます増加する可能性があり、価格面で日本米を圧迫し、日本の中核的米作農家は稲作を止めざるを得ない状況になるのではと憂慮されています。
 総額にすると日本の農産物の生産は4兆円足らずですので、それに代わるべく食糧を海外から輸入することは、外貨をたくさん持っている現在の日本にとっては、難しいことではありませんので、食糧の安全保障は十分図れるという評論家もいますが、この理論は、単純に農業生産物を金で買った場合の比較であり、その金を持っているから問題ないと考える正に現場を知らない、そして日本の農業を叩きつぶしたいと思っている大企業、資本家の理論であると思います。
 以前ドイツに居た時に北海道から来られた農業団体の職員が「日本経済界は、日本農業を潰したいと思っている。何故なら日本農業を潰してしまえば必然的に海外から安い農産物が入ってくる。そうなれば消費者・労働者はその安い農産物を摂取し結果的にエンゲル係数は下がる。つまり、給与を下げたとしても食費の支出を下げれば労働者からの文句は然程出ないから、安い農産物の輸入を解禁したい!」という安直かつ愚直な考えを聞かされたことがあります。
 しかし、よく考えて見て下さい。今東京はじめ大都市に住む人たちは、食べるものを一切生産してはいません。自分たちが飲む水は、山や田んぼに降り注いだ雨がダムに貯まり、それが川を流れて市民の口に入ります。吸っている空気も田舎の山々に生える木々や草、そして田んぼの作物が作り出しています。そして電気は何処から供給されているのか?そして都会で働いている労働者は一体何処からやって来たのか?消費生活のみの大学生は一体何処から来るのか?仕送りは誰がしているのか?
 そのような観点から都市を捉えた場合、都市の生活は地方の生活の上に成り立っているのだということに気付くはずです。都会は食糧を生産しないので自立することは不可能ですが、農業が行われている地方は自立することは可能です。
 今の都会と地方の格差は「金があるかないか」ということを物差しにしたものであり、如何にも金のない地方が劣っているように云われますが、中越地震でも証明されたとおり、あれほど大きな地震でも阪神淡路の死者6,000人に比べ中越では50人余り、この数の単純比較で言えばどれだけ地方の方が自然災害を受けた際、安全か分かると思いますし、犯罪率や当然交通事故の割合も都市の方が大きく、生きることの安全性を考えた場合は、地方が有利ということは容易に理解できるかと思います。
 では、地方に人を定着さ地方に活気を持たせるには、地方の基幹産業である農業支援なくしては成り立たないこと、その農業を潰すような政治では、その地方の上に成り立っている都市の存続もおぼつかないことを認識すべきです。
 食糧自給率の向上つまり自国農業の振興政策は、国の根幹にかかわることであり、金銭、損得、効率で考えるべき問題ではありません。「自動車を売るから農産物を買わなくてはならない」というような世界貿易の自由化という得体の知れない価値観で捉えるべき問題でもありません。
 金さえあれば何でも買えるというような考え方では、近いうちに日本は滅びてしまうということを日本国民はよく認識しなければならないと思います。
 国は積極的に農業振興策を打ち出すことで、地方は活性化し、その上に成り立っている都市も活性化し、日本は繁栄するのだということを再認識する必要があると思います。自給率向上、農業振興こそがこれからの日本の命題です!