首都圏のベットタウン都市

 先週末千葉県佐倉市:人口17万5千人を訪問してきました。
 佐倉から東京駅までは快速で丁度1時間、昔からの京成成田線とJR総武本線が走っており、交通至便でありベットタウンとしてバブル期に発展した町です。
京成及びJR線が走っており、幾つもの駅が存在しているので長岡のような町の顔、所謂中心市街と、町の中心部?はというと何処を指すのか分からない状況で、市役所は旧市街にありますが、人口集中地帯はマンションや公団住宅が集積しているユーカリが丘や勝田台等となっています。高層マンションではなく1戸建ての分譲住宅地もあります。
 このような所謂ニュータウン、当時入居された世代は、終の棲家として考え、定年までの年数のローンを組んで購入されたはずですが、結局次世代家族との同居するにはスペース的にも不可能で、子ども達はまた別の町、地域に新たな住居を求めて移り住み、著しい高齢化が進み、それらの団地は消えることなく、住人のみが消え去ってしまい、昔のニュータウンがゴーストタウン化してしまう状況が間近に迫っています。
 バブル期に全盛を迎えていた東京近郊の団地都市、多摩ニュータウンや松戸の常盤台団地、高島平等は正に今高齢化が著しく、孤独死も少なくないため団地の自治会で巡回をしているとの話も聞きます。
 20年〜30年前はマンモス校と呼ばれていた小学校は、今は児童数の激減で風前の灯火、著しい児童数の減少で複式学級も出てしまうような状況で、地域の高齢者の方々を招いての交流事業に盛んに取り組んでいるとの話も聞きました。
 結局、バブル期に建設されたマンションや住宅は、間もなくすれば処分できない不良物件となってしまうという問題が生じる可能性が大です。特にマンションは再開発(取り壊し、新築)は非常に難しいくゴーストタウン化するのも予想されます。
 都会の生活とはこんなものかな?
 今での新しい鉄道の沿線では、常に新しい土地、農地を求めるて「持続不可能な開発」が行われています。ゴースト化したところは見捨てられ、ゴミのように捨て去られてします。社会資本の有効活用が出来ない、これが都市、現代日本文明の象徴であるような気がしました。一方、農村、そして文化は持続可能なものでありますが、今の農政では、これも危うくなっています。