中越地震追悼式

hiroshikaro2007-10-23

 長岡市立劇場新潟県中越地震3周年 合同追悼式が新潟県そして長岡市はじめ7つの関係市の主催で実施されました。あれから3年経ったかと思うと、長いようで短い感じがしています。
ついに地震でなくなった方の総数は68名となりました。地震当時、地震による東海や火災等、直接的に亡くなられた方はそんなに多くはなかったはずですが、この数は、地震によるショック、後遺症等で亡くなった方々が多いことを物語っています。

 式典の後半では、7つの市の代表小学校からの代表児童がそれぞれ自らの思い出を語ってくれました・
「皆地震でそれまでほとんど思ってもみなかった、家族や地域そして友達との絆の大切さを認識した。そして消防団自衛隊、役所の職員はじめ全国からのボランティアの方々からの多くの支援に感謝し、自らも大きくなったらそのような形で困っている方々を助けたいとの意見発表があり本当に頼もしく思いました。
 当時を思い起こすと「大人たちは地震で大変だ!大変だ!」と言って、ついつい小言や文句が多かったのではないかと思いますが、子ども達は大変さを感じる以上に、人間的な何か?大切なものを多く学んでいてくれていたような気がしました。
 山古志への帰還者は5割に満たないとのことですが、以前山古志の村会議員をしておられた方が、「子ども達が山古志に帰りたいと言っているので、親も子どもに引かれて帰らざるを得ない!」というお話しを聞いたのを思い出しました。
 子どもたちは全国各地から訪問し励ましてくれた方々や手紙や千羽鶴で励ましてくれた同世代の仲間の期待に応えなければならない、帰村して山古志を復興しなければならないという使命感みたいなものがこの3年間で育ったものと確信しています。
 子どもの教育、子どもが感じ行動することがどれだけ地域や社会を動かすか?は正に中越地震で実証したのではないかと思います。
子どもが立派に育てば、きっと地域、山古志は再生すると思います。我々大人達には、その子どもたちが十二分に活躍できる場所を提供する役割と義務があると思います。今後は若き子どもパワーに復興の原動力を託したいと思います。