東京よしっかりしろ!一流と中流

丸の内(東京駅前)

先週末東京を訪問した際2つのレストランに入りました。
 一つ目は、東京駅丸の内口 正面に建つ新しく建った丸ビルの6階の某洋食レストラン。東京の若者やOLが立ち寄るちょっとおしゃれなレストランといった感じがしました。丁度昼食時でしたので、入口で暫く待たされましたが、奥に通され着席、その後直ぐにメニューを見て注文しました。全てのランチメニューに付く、サラダとお豆のスープが出てきましたが、ぬるいスープには一寸閉口しました。その後、飲み物とメインの料理が出されましたが値段の割にはとの感じがする料理でした。会計では他の人の伝票で精算されてしまい一寸トラブルがありまあしたが、さほど混雑していた訳ではないのに?店員の資質を疑いたくなりました。
 次の日は、山手線大崎駅の北口に出来た大崎ゲートシティー内にあるイタリアレストラン。昼食時は既に終わりどちらかというと「お茶の時間」に食事に入ったのが悪かったのか?店の入り口付近には空いている席も随分あるのに、店の一番奥の外から見えない、給仕も思うようにサービスできないような狭い席に案内されました。二方を壁に囲まれた席なので、大柄の私自身も狭く感じました。

 最初にサラダが出てきてきましたが、ホークが添えてありませんでした。「ホークお願いします!」と手を挙げて頼んだので、直ぐに持って来てくれるかと思いきや、途中で別のお客に呼ばれ注文取りに、結局再度催促してようやくホークが出てくる有様。その後、サラダを食べ終わるとメインのスパゲティーらピザが出てきましたが、空いた食器を片づけることなしに、大きなお皿がどんどん出てくる。席はがらがらなのに何か急き立てられるような感じで食事が進みました。いずれにしても気の利かないウエートレスには唖然としました。
どちらの店も、我々お上りさんから見れば、構えは一流とは行かないまでも「中の上と思われるレストラン」でした。しかし、出てくる料理、そして接客サービスの質は全く中の上といった感じはしませんでした。こんなだったら何時も東京に来た時に常食している「吉野家の牛丼」「松屋のカレー」「讃岐うどん」の方がどれだけましか、そして満足できたか?
 最近、東京では見かけ倒れの店が多なったような気がします。言い方を変えれば、外見や、入っている建物・ビルそして雰囲気に騙されてしまうことが多々あるように感じます。
 確かに東京では高い金を払さえすれば、一流の物は食べられ、一流のサービスは受けられますが、これまで大衆といわれてきた中流レベルに於いては、「形や見かけに騙され中身が無くなってしまったこと、所が多くなったような気がします。」
大都市の新たな顔である副都心や新都心では、文化という長い間培われてきたものが、ついつい軽んじられてしまい、目先の利益や便利さスピーディーさのみが優先されているのではないかと感じます。
 やはり食もサービスも文化です、江戸時代から培われてきた東京文化を取り戻さないと、そこで育ち、生活する人たちは空っぽな見かけ倒れの人間になってしまうのではないかと懸念しています。東京よしっかりしろ!