食の安全

 赤福の問題、白い恋人不二家など食品を取り巻く安全性について毎日のようにマスコミに取り上げられており、監督官庁の責任や管理体制の強化等ばかりが力説されているが果たしてそであろうか?
 賞味期限切れの物を再生し使った。このことは法律に違反しているから確かに悪いことであり、企業として社会で活動していく上で、そのことを遵守しなかったことについて違反した訳なので社会的制裁をうけることは当然であると思う。
 しかし、そのことが直ぐに「食の安全」という問題に繋がるのか?
 では、皆さんの台所にある冷蔵庫の中には果たして賞味期限が切れた物は入っていないか?
 また、加工品なんかは多少賞味期限が過ぎていても加熱等の調理を施せば食べられるとの考えで食べている家庭もあるのではないか?
 実際我が家はたまにそのような判断で賞味期限が過ぎていても調理師食べることがある。では、その判断で調理し家族に提供した人は、家族の「食の安全」の観点から考えた場合、どのような家庭的制裁を受けているのだろうか?
 「食の安全」ということを考えた場合、「食品そのものの安全性」と「それを作ったり調理したりする人の信頼が安全性」につながると思う。
 安全か危ないかの判断は、役所や社会がすること、私たちはそれを食べる人であるように錯覚している気がする。特に農業という産業を全く無くしてしまった都会人、その中でも特に自給率1%という東京に住む人々にとっては、自ら食を作ることを止めってしまった訳であるので、自らの食の安全は自ら守ることは出来ない、結局、金を出し、理屈を捏ねて役人や第三者に安全を委ねざるを得ない状況が正に今日であると思う。
 果たしてこれが正しいのだろうか!人の不正や役人が怠けていると言って批判ばかりしていて、自らは食を生産することを否定し、安い物、安全なものといって、金を出しているのだからと都会人は只威張っているようにしか見えない。
 都会の人よ、自ら食う物は自ら作れ、さもなければ、もっと感謝の意を持って食べろ!金を出しているのだから、よそに比べ高い、だから外国産を食べるのだ!と言うような発想で日本農業を叩き続けるようでは、最後には世界も含め農業者に危険紛いの物を食べさせられるという恐怖を感じて欲しいと思う。