爺ちゃんの命日

 今日は私の祖父藤五郎の命日です。小生が小4の年76才で亡くなりましたので丁度今日で40年が経ちます。
 祖父が死んだのは11月26日の日曜日 午後6時過ぎだっったと記憶しています。NHKの「タイムトンネル」という番組を見ている時、隣の座敷で家族皆に囲まれ臨終を迎えた光景は今でもはっきり覚えています。当時、祖父のしはある程度覚悟していましたが、身内の死に立ち会ったのは、これが初めで、ましてや小さい頃から兄や姉にいじめられるとかばって呉れたのは祖父の死は大変ショックでしたが、兄や姉は泣きじゃくりましたが、実際私は兄や姉のようにはなりませんでした。
 また、亡くなると同時に親戚や近所の人が大勢家に来るので、お祭りのような気がして心がうきうきしたのも事実でした。
 翌日月曜日に学校に行き、火曜日は葬儀なので「忌引き」で休むと担任の先生に申し出るのに勇気が要り下校間際まで言えなかったことも思い出されます。 
 長岡駅近くまで用事に出掛ける時、良く一緒について行き「しっかり歩いてきた。がいもんがいもん:偉い偉い」と言って、駅前の食堂 大黒やで大好物の中華そばを食べさせて貰った縁で、今でのラーメンが大好物です。
 竹で弓を作ってもらったり、こま回しを教えて貰ったり、毎年1月下旬に成田講で成田山参りをするといっぱいお土産を買ってきてくれたりと私にとっては好々爺でした。
 蒼柴神社の火事の際にご神体を背負って運び出したとか、棺桶に遺体を詰める名人であったとか、わら細工が上手かったとかという名声も今でも年老いた方々から聞くことがあります。決して父や私のように議員になって「何かをした」という人ではありませんでしたが、何時も笑顔で心優しく、皆の頼りにされた祖父を思い出しています。
 たまたま、先週末NHKで「海峡」というドラマそして昨日は「点と線」というドラマを見、丁度小生が生まれ育っち、祖父が亡くなった頃の光景が出てきて懐かしく思うと同時に、今如何に便利になったのかを再認識し「幸せとは?」そして「家族とは?」を改めて考えて直しています。