大学入試センター試験 2日目

 昨日記した内容に間違いがありましたので、まず訂正したいと思います。
 昭和59年に開始された試験は、入試センター試験ではなく『共通一次試験』の誤りでしたのでお詫び申し上げます。
 
 私が大学在学中は良く教授等先生方が「共通一次で入学してきた学生は小粒になってしまった。面白みに欠ける。」という言葉を連発されていたのを思い出します。
 私たち共通一次試験を経験しない者に対しての「美辞?」だったかも知れませんが、確かに大きな篩(ふるい)で1回試験をして、その後もう1回各大学の篩(ふるい)で試験する訳ですので、機械的に篩(ふるい)掛けが2回になるので「おかしな?」というか「一寸変わった学生」がその2つの篩を通り抜けて来るのが難しなる訳です。
【思いで話】
私が大学に入った当時、我が大学は10年遅れの学生運動を展開していました。
入学式当日はヘルメット角棒をもった所謂セクトの学生から恐る恐るビラを貰ったのを覚えています。何でこんな?おかしな大学に来たのか?が最初の印象でした。
その後「政治学」の授業はセクトの学生達に妨害され「授業潰し」が行われ、殆ど授業が行われずに単位も取れない状況が2年程続きました。
純真な?新入生にはそれら「授業潰し」に対しては「彼らと関わったら怖い道に引きずり込まれてしまう!」という恐怖心だけで、何も対抗することは出来ませんでした。
しかし、慣れというのは恐ろしいもので、私が大学3年になった時は、彼らセクトの学生も仲間に入れた自治会の結成を中心になって行っており、当時の文部省が建設を進めていた『大学の管理の:大学会館』ではなく『学生の管理・運営の:学生会館』の建設を掲げ、大学側と幾度か団体交渉をしたことを思い出します。
残念ながら私が卒業した後は、その活動は沈静化し、現在、我が母校には学生会館ではない立派な?『大学会館』が建っています。
前置きが長くなりましたが、『学生運動』という言葉や『大学との団体交渉』なる言葉が『死語』となった時期は、今考えてみれば『共通一次試験』導入直後からではないかと思います。
私が大学の自治会の会長を務めたばかりの時、しばしば大学の学生部次長や課長(事務管理職)から声がけがあり『学校運営に当たっては大学当局と協力して進めて欲しい』と云われ、カツ丼や中華丼をご馳走になりました。いわゆるワイロです。
その後そのことをセクトの仲間(先輩)に話すと「大学の手先になってどうするのだ!」と随分叱られたのを覚えています。「大学生であるなら当局と対立し学生自治を確立するのだ!」とも檄を飛ばされ、学生運動の変遷、その目的などを勉強させて貰うと同時に、そのことを仲間に語りかけたものでした。
当時学生運動では、文部省の大学教育が目的とするところは「大学は、物言わぬ上級技術者の育成である。」と云っていました。言葉を換えると『高い技術力をもって黙々と物を生産する労働者。しかし、経営や政治的な事に関して口出しはしない。資本家に従順な技術者を社会に供給するのが大学の役割である!』とも云っていました。
大学の目に叶った、文部科学省の目に叶った学生を入学させることは、大学運営の円滑化に繋がると同時に、日本資本主義の円滑な運営に繋がることと思います。
しかし、その日本資本主義の円滑運営が成されている現在、国民の生活は良くなったのか?幸せになったのか?と考えるに! ????マークばかりが多い現在、大学入試センター試験の有り様をこの辺で十分検証すると同時に、『最高学府 大学とは?何か』を国民全体で検討し直さなければならない時期であると思います。
同世代の半分以上が受験する『大学入試センター試験』の改革・見直しが社会に与える影響が絶大なものがあると思いますがーーー