現場からの教育改革リレーフォーラムin長岡 PART ?
先週の土曜日(2月2日)午後、森長岡市長が会長を務める「提言・実践首長会」主催の「現場からの教育改革リレーフォーラムin長岡」が長岡造形大学で開催されました。
250名余の参加者の内訳は、半数が小・中学校の先生と保育園の保育士で、残りは、PTA、教育委員会関係者、市議会議員、そして文部科学省事務次官、審議官、大学教授、そして国分寺市長、三条市長等のであった。内容は有意義かつ実り多いフォーラムであったと思います。
冒頭約90分間「今子どもたちにはぐくみたい”力“を考える」をテーマに4つのグループに分かれ話し合いました。
初めに「子どもの現状について」次ぎに保護者や教員が考える「子どもたちにはぐくみたい“力”を考える」最後の「その“力”をはぐくむための方法」について積極的な発言がありました。発言の概要は、
「子どもの現状について」子どもの心の荒廃
1.少子化に伴う親の過保護、過干渉の問題
2.習い事、塾などが忙し過ぎて家庭の団欒がもてない
3.遊びはゲームが中心で体を動かさず、部屋や家に籠もりっきり
4.自己中心の子どもが増えた
5.孤独や一人に耐えることができない
6.学校には配慮を要する子ども、障害や病気を持った子どもが多くなった
7.携帯、パソコンの利用が多過ぎる
8.保護者がおかしい(モンスターペアレンツ)
次ぎに保護者が考える「子どもたちにはぐくみたい“力”を考える」
+度胸
+コミュニケーション能力
+交渉力
+運・不運を乗り越える力
+チャレンジ精神
+失敗を恐れない心
+生活の中での探求心
+思考力、創造力
そして教員が考える「子どもたちにはぐくみたい“力”を考える」
- 自尊信、愛情
- 命、感謝、夢
- 学ぶ意欲
- 意思決定力
- 不便な生活の体験(宿泊体験活動)
最後の「その力をはぐくむための方法」
- 実体験を積ませること
私たちの、私の世代が子どもの時とは周りの環境も大きく変わって来ている。しかし、私たち大人は、自らの体験や経験にノスタルジアを感じ、自分たちの時のような体験、例えば、遠足、魚獲り、草野球など体を動かしたことを今の子どもに望んではいないか?
学校教育も家庭教育もそして地域の教育もこれほど環境が変わっているのに、我々の時代と変わらぬ教育体制を敷いているのではないか?
親の価値観で子どもを操り、意にそぐわないと責任を取らずに誰か、例えば学校に責任を転嫁しているのではないか?
保護者自らが買え与えた「ゲーム、携帯」なんかも買え与えていながら、ゲームばっかりして困る!携帯は高すぎる。悪いサイトにアクセスする!等どうにかならないものかと社会問題化させている。
高学歴を望む余、小学校からの塾通い、一流選手を夢見てのスポーツクラブへの送迎、結局家族の団欒がなくなり、子どもとのコミュニケーションも少なくなり、親子の関係が上手く行っていない。「家庭教育をどうにかして欲しい!」という悲鳴が教育委員会に寄せられる。
保護者はきちんと親と向き合う時間をなくし、そして、敢えて向き合うことをしようとしない。向き合うのが怖くなってしまったのか?そして先生方も、本来親(家庭)がしなければならない役割である「食育」「安全教育」から我々の時代にはなかった「国際化教育」「情報化教育」など新たな教育のテーマまで押しつけられ、子どもと向き合う時間がなくなってしまった。
このような状況下、我々保護者、先生等大人がまずしなければならないことは、まず、子どもときちんと向き合うこと、話し合うことではないかと思う。毎日数分でも良いから子どもと会話をする時間を確保することが大人の役割ではないかと思うし、子どもと向き合う時は、いい加減な気持ちではなく、本気になって対応することが大切であると思う。
子どもが何を欲しているか、今の子どもに何が必要であるかは、きちんと向き合うことで分かることであると思う。
通常子どもは、塾へ通うよりも仲間と一緒に広場で騒ぎたいはずである。おもしろいゲームであれば頭がおかしくなるまでやりたいはずである。学校だって、もっと自由に振る舞いたいものであるが、全て大人の管理下に置かれ、「学校から帰った直ぐに塾へ行け!」「ゲームは何時間」学校へ行けば「人を虐めては駄目、優しくし、礼儀正しく、おとなしくして居れ!」小さく多感な子どもの時にここまでがんじがらめの大人に管理されていては窮屈極まりなく、「学校へ行きたくない!」「親と話しなんかしたくない!」と思うのも当然ではないかと思う。