農育+食育

 一昨日長岡市役所で「長岡市の食育推進会議」が開催された。
 先の中国製ギョウーザ中毒事件で、最近漸く期待していた「食糧自給率」の話題が出始めてきた。農林省はこの機会を生かして農産物の国産化自給率向上を声高らかに宣言し、これまで失敗し続けてきた食糧自給率向上の具体策ではなく、この問題を背景とした世の中の矛盾を突き、同時に新たなる現実味のある具体策を提案すべきなのに?まだまだ何を考えているのか?音無の構えである。
 これまで「食育」「食育」と食うことばかりに焦点を当てて議論させて来たが、これからは「農・食育」「作ることから食べることまで」一貫して議論する重要性を今回の中毒事件を通して広く国民は理解したであろうと思うが?残念ながら世論の大多数は、「農」を持たない、都市住民であれば、なかなか「農・食育」という協議は出来ないかと思うが、逆に「農」を持つ農業者が都市住民に問題提起してみてはいかがかと思う。
 その旗振り役は、農林省をはじめとする行政とJAを初めとする農業団体が担うべきであると思う。
 自民党も先の参議院選挙の惨敗を教訓に、今地方、農村部に農業支援をちらつかせ、選挙の支持を訴えているのだから今が正に千載一遇のチャンスである。
民主党もそれに負けじと、農村部に攻勢を掛けているのだから、農業団体はこの機会を見逃してはならない。
 しかし、本来政策とは、役所や団体が作り上意下達されるべきものではなく、現場から形成され、上がって行く「下意上達」であるべきと思うが、現場の構成者 農家が余にも音無しいので歯がゆくて仕方ない。農業者よ!「米の買入前渡し金の低額ショックでもう立ち上がれずしょぼくれているのか?」

 農育+食育=農・食育、通常は食・農育と云われているが、作って初めて食べることが出来るのだから、「農食」が正しいと思うが、未だ世の中は金を出す消費者の食の方が、生産者の農より勝っていると考えているのか?それとも農は後で引っ張り出し付け加えたものだから、食の次ぎ農が来たのか?それとも未だ都市部や文部科学省には農の概念がないのか?分からないが、
いずれにしてもこの「食農」という錦の御旗を掲げて、大いに世論に訴えていけば、自ずと活路は見出せ、日本の将来も明るくなるのだが?