日本の社会問題は、大衆生産によってのみ解決される!

先日、那須に行った時に、「世界の貧困は、大量生産によってではなく、大衆生産によってのみ救われる!」とういガンジー インドの首相の言葉に触れた。
正に、現在の日本の社会問題を解決するに通じる言葉だと思った。
安い物外国からの輸入食糧を大量に輸入し消費している日本の食糧政策に対しての警鐘のような言葉である。
中国の餃子中毒事件で、大量生産された食品の水際での検査態勢の拡充や生産者、メーカーのモラルの是正ということが盛んに叫ばれている。確かに生産の術を持たない都市住民にとっては、そのことが唯一の関心事であると思うが、「大衆生産」という言葉からすれば、全ての日本国民が生産に携われば、自ら作った物、或いは隣人が作った物を食べれば、そのような検査や他人のモラルをどうこう言う必要はないはずである。
つまり、全ての日本人がこれから「農」に取り組み、「農」を実践することが、食の安全・安心を確立することであり、加えてガンジー首相が言うように「社会の格差そして貧困層の解消」につながることであると思う。
戦後の昭和20年代の食糧難、そして、皆がきちんとしたものが食えるようになって豊かになり、幸せを実感できるようになった昭和30年代〜40年代。その幸せに感謝を覚えなくなり、食べられることが当たり前になった昭和50年代、そして、バブル期の昭和60年から平成初めの年代、そして今、自給率が40%を切った日本は、今まさに食糧難と言って良いと思うが、戦後の頃の空腹感を感じるどころか満腹感、飽食感しか感じない、正におかしな時代、理解できない時代である。
「金さえあればなんでも出来た、買えた時代」から、「金があっても食糧を買えない時代」になってしまうことがここ数年後には現実となると思う。
北京オリンピックそして上海万博が終わる頃には、中国の現体制は崩壊し、現状維持は難しくなるはずであり、その頃には中国や東南アジアの国々から日本への食糧輸出はぴたっと止まってしまう可能性は大である。何故ならこれまで中国で食べられなかった人達が、食べられるようになり、それもエネルギーを大量投下して出来る畜産製品中心の食文化にシフトしてきているという現実をきちんと理解しなければならない。近い将来、日本の10倍に当たる13億もの民、皆が食べられるようになれば、他国の日本などは相手にされないのは必定である。
 今耕作放棄地が増え続けているが、その放棄地も再び優良農地に生まれ変わり、食糧生産の場として復活するのは間もないことであると思う。
 農家は米や農産物の価格が安いと言って憂いてばかりいないで、間もなく農業に光が当たることを信じて、がんばってもらいたいと思う。
 今大切にされずに捨てられている物を拾い大切にすることが、近い将来自らの食を守ることに繋がるということを認識し、国民全てが「農」に従事する「大衆生産」を目指さなければならないと思う。