松阪の「まりちゃん」

 先日松阪の友人を訪ねた時、松阪牛を食させて貰った。それに「松阪牛の証明書」なるものが添付されていた。
証明書には、松阪牛肥育農家の氏名、住所、肥育場所、そして牛の名前:まり、主な給餌飼料:稲わら、大麦、フスマ、大豆かす、そして、肥育農家に引き取られた導入美日、肥育日数:601日、出荷日、と畜日、年齢29ヶ月齢、移動履歴と品質規格などが書かれている。
加えて、その「ま り 号」の血統証、両親、祖父母、生年月日、子牛として育った農場名、所在地、屠畜場名、BSE検査の結果など非常に詳しく書かれており、おまけに牛の鼻の紋「鼻紋影」までが添えてある。
 さすがに高級牛:松阪牛である。氏・素性から、育ての親、嫁ぎ先、何を食べて大きくなったのかまで書かれているのだから、我々人間様よりもしっかりしているように思える。

 食べる者にとっては、その肉の安全性は言わずもがな、安心して食べられる証明書であることは間違いないが、何かここまできちんと育てられた「箱入り娘:まりちゃん」の肉体の一部を食べるのか?「まりちゃん」のお肉を食させてもらうのか?と思うと食べるのも一寸躊躇してしまった。証明書:所謂「まりちゃんの位牌」に手を合わせていただかなければ「まりちゃん」の死に報えないように感じてしまった。
 昔ドイツで農業実習をしていた頃、しばしばイスラム教信者であるパキスタン人の昼食に招かれたことがあった。彼らは月1回位の割合で、生きている羊を市場で買い求め、その羊の屠殺に立ち会い祈りを捧げ、それからその羊を一気に殺すのではなく、動脈に包丁を入れ、出血多量で屠殺して肉を食べているということを思い出した。
 生きているものを殺し、それを食べ自らの生命を維持するという自然界の営み、そして我々人間は、その食物連鎖の頂点にいるということから、つい最近まできちんと、それらの恵みに感謝し、それらの犠牲に対し祈りを捧げてきたことを再認識しなければならない。
 大量生産、大量消費というシステムの中で「金さえ払えばそれでいい。金で買った物は自分のもの、それを残そうが、捨てようが自分の勝手である」と誤信している我々現代人は深く自省しなくてはならないと思う。
 最近、「命と食」ということをよく言われるが、本当にそのことを実感させられる「まりちゃんの証明書」であった。