基地のまち三沢市

基地メインゲート

 今週初め米軍の駐留地かつ自衛隊の駐留地である三沢市で、中心市街の活性事業について勉強して来ました。
 JR三沢駅は中心街から車で10分程離れた所にありますが、戦前(昭和20年以前)は、駅を中心に町が栄えていたとのことであり当時の人口は僅か7,000人だったとのことです。
 戦後、米軍が三沢に駐留、当初2万人もの関係者が駐留するようになってから、基地の周辺が中心市街地となり、人口も急激に伸び、その傾向は昭和50年まで続いたとのことですが、その後の人口の伸びは見られないとのことです。
中心市街地はご多分に漏れず「シャッター通り化」し、人通りは全くなくなってしまったとのことで、現在、基地のメインゲートを中心とした地域の区画整理事業が進められており、国土交通省の助成事業である「まちづくり交付金」や防衛省の事業が上手く活用されていました。

 防衛省関係の事業費は、まちづくり交付金等に比べると負担割合も高く、非常に有利な事業資金となっており、まさに基地があることの恩恵だと思いました。
 さて、人口4万3千人の三沢市には、住民登録していない米軍兵士5,500人とその家族、関係者5,500人の計11,000人の米軍関係者が駐留しているとのことでした。また基地にでは約1,100人の日本人が働いており、その内約700人が三沢市民であり、また、人口4万3千人の内7,000人が自衛隊員であるとのことで、まさしく基地のまち、自衛隊のまち三沢です。
 上記の統計からすると三沢市に居住する35%、約3人に1人は米軍か自衛隊の関係者となります。非常に高い割合であり、基地、軍隊が三沢の第1の産業となります。
三沢は基地と共に発展して来たまち、そして現在も基地の存在があるから動いているまちだと思います。丁度、柏崎市刈羽村原子力発電所の関係と似ています。もし、基地がなくなったら?もし、原発がなくなったら?と考えるとまちの存在自体が危ぶまれます。
 
 丁度、この日曜日から市議会議員選挙が始まり3月9日が投票日となっています。20名定員で23名の立候補者、それぞれどのような公約が述べられているかまでは聞くことは出来ませんでしたが「基地と市民生活の問題」を掲げられた候補もおられるかと思います。
 ひとつの産業、ひとつの○○に頼る構造は、その「ひとつ」に何かあると全てが崩壊してしまう恐れがあります。「ひとつ」に頼らない多様性のある社会の構築が必要であると感じました。
 なお、沖縄のような悲惨な事件はこれまでなく、基地関係者と市民との関係は比較的良好な状態でありとのことでした。これは、基地と三沢市をはじめとする行政との相互理解が上手くいっている賜とも感じました。