コンパクトシティ 1

 市役所の中心市街地移転に伴い、昨今、議会内でもよく「コンパクトシティ」という言葉が使われるようになった。
ウィキベディアの辞書によれば『都市郊外化・スプロール化を抑制し、市街地のスケールを小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏と捉え、コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするのがコンパクトシティの発想である。1970年代にも同様の提案があり、都市への人口集中を招くとして批判されていたが、近年になって再び脚光を浴びるようになった。再開発や再生などの事業を通し、ヒューマンスケールな職住近接型まちづくりを目指すものである。』と書かれている。
長岡市も現在の駅前の空洞化した中心街をコンパクトシティ化するといった発想で、中心市街地に賑わいを戻そうとの政策が積極的に進められている。
 市庁舎の移転、再開発の促進、そしてマンションの乱立等、表面的には多くの資本投下がなされ再び中心市街地の人口も増加する傾向が現れているように思えるが、これも一過性のものではないかと思う。
 大都市、首都圏周辺の住宅団地は、現在建物の老朽化、そして住民の高齢化が進みゴーストタウン化が大きな問題となっている現状を見るに、コンパクトシティを標榜し、マンションを建て、高齢者を集める事が、本当に持続可能な街づくりになるのであろうか?と大きな疑問を感じる。
 また、地方都市の中心市街地への人口移動は、過密している大都市からのものではなく、過疎化している周辺農山村部からのものが中心であるように思える。
 風水害や地震等の災害の多い日本において、農山村に住んでいた住民を中心市街地に集積することは、山や川、道路などの管理を誰が担うのかと言うことになり、その管理を疎かにすれば、災害時に平場にある都市部に甚大な被害をもたらすことが予想され、防災の面からして大きな問題を生じさせる結果となる。
 コンパクトシティ(Compact City)とは、主にヨーロッパで発生した都市設計の動きである』と書かれているように、遊牧民族が作り上げたヨーロッパの城壁都市の手法を農耕民族が作り上げた日本のまちに適用すること大きな無理があるように思えるが?