不登校専任熱血教師と落第

 月曜夜NHKの番組で、不登校の生徒対応する「専任熱血教師」の番組を見た。不登校生徒の心に秘める悩みをひとつずつ紐解いていく先生の努力と熱意には本当に感服した。
 不登校生徒のMさんは、ある日突然同級生の男の子に顔を殴られ、その後学校に行かなくなったという。家に籠もってしまったMさんを熱血先生が迎えに行き、そして校内の別教室で個別指導をしながら同級生のいる教室に戻してやろうと一生懸命になっている姿は、見ている人たちに感動を与えたのではないかと思う。
 しかし、何故それまでして彼女を殴った生徒が居るクラスに戻さなければならないのか?という疑問も沸いてきた。
 「現実から逃げては行けない」「負けないで、がんばるんだ」「ここで逃げたら大人になっても逃げ癖が付く」というようなニュアンスの先生とMとの会話がありMは一生懸命であった。
 また、何故そのようなクラスに戻らなければならないのか?「君子危うきに近寄らず」という諺もあるように、危ない場所を避けるのも人生処世術のひとつであると思うが、今の日本は大人の理論で「がんばれ!がんばれ!」である。
 小生も若き農業実習生を指導していた10年前までは熱血指導者であった。「自分を物差しにして自分ががんばれたのだから君もがんばれる」と云った感覚で指導していたことを思い出すが、その後、長岡へ戻ってから障害を持った子どもたちと接する機会を経てからは、人間には個人差があり、そして他人には理解できない悩みや問題がある。そして決められた時間では解決できない問題もあるから、時にはそっとしてやり、相手の立場を尊重し、やりたいようにさせてやったらと思うようになった。
 しかし、現代の学校教育、特に小中学校の義務教育においてはそのような時間的余裕はない。9年間という決められた時間内に全てを解決しなければならないのだ!学校に行かなくても。勉強ができなくても15歳になれば義務教育は終わりである。
 例えば大学の卒業証書には「課程を修了したので卒業」と記されているが、小学校の卒業証書には「課程を卒業した」と記されており、義務教育は課程を修めるとは記されていない。つまり、勉強してもしなくても年齢に達すれば自動的に卒業させられし、卒業しなければならないという制度である。
ドイツでは、学校や授業に対応できないような子どもは「落第」という制度がある。当然成績が悪ければ落第、そして成長が人よりも遅いと感じた保護者から「うちの子どもはもう1年○○年生をさせて欲しい」という要望があれば留年することも可能である。
 日本でも義務教育にドイツのように落第の制度を取り入れたら、もっと子どもの能力に合った教育が出来るし、今のような不登校や心の問題なども少なくなるのではないかと思うが。
とかく、日本は効率や常識優先に物事が進められ、既に時代に合わなくなった制度でも見直すことなく、当たり前に受入れているために、本来の目的と違ったことをしてしまっている傾向がある。
 日本の義務教育も制度的疲労を呈している現在、きちんと主人公である子どもの立場に立った改革が必要であると思う。