用水路と排水路について 2

hiroshikaro2008-05-22

 昭和30年代後半から40年代の高度成長期に宅造された地域では、田んぼが埋め立てられ宅地化されました。
田んぼを仕切っていた畔道や農道が4m道路として整備され,当時用水路と排水路が兼用されていた農業用 水路が宅地内や道路の排水路:生活用排水路及び雨水排水路として利用され、どんどん宅地開発が進められました。
小生が小学校低学年の丁度今頃の時季は毎日の様に「建てまい:棟上げ式」が行われ、ビニール袋をもって5円玉や切り餅、あめ玉などを拾いに行ったものでした。本当にあっという間に多くの家が建ち、新しい街「新町」が生まれました。
 あれから4〜50年経ち、生活様式も様変わりし、周辺の状況も大きく変化しました。
 当時の「新町」周辺にあった田んぼは更に宅地化され、また高齢化により耕作されず放棄された田んぼも多くなりました。
 当時、雨水排水のことなど考えて造成した地域など殆どありませんでした。
 造成当時砂利道であった4m道路も冬季間ブルが入れないということで消雪パイプが敷設され綺麗にアスファルト舗装されました。また、草取りをしたくないとの理由で、宅地内を全てコンクリートで固める屋敷も少なくなく、降った雨がすぐに【宅地→道路→水路】と経路で、「水が走る」時間が非常に早くなりました。
そのことが原因で排水路には一瞬にして水が集まるようになり、昔に比べ頻繁にあふれるようになり、現在大きな問題になっています。
先日現地視察した地域も上述したような変遷を辿って造成された街、現在冠水の常襲地域となっており、加えて中越地震での被害も大きく冠水した際にそれら地震で出来た亀裂に浸水するのではないかと心配されている方々が少なくありません。
このような被害から宅地を守り、町を守るために現在抜本的な河川そして水路の改良・拡幅が行われ、並行して市街地の雨水排水の下水事業が進められていますが、市街化した地域での河川の拡幅や下水工事は実質上無理な状況なので、治水事業も本当に大変です。

満々と水を湛える福島江用水:今は排水路の役目も担う。