平和教育とは?

hiroshikaro2008-06-26

 今月初め広島市を訪問し「市民や子ども達への平和教育」というテーマで市役所の国際平和推進部、被爆体験継承担当課長と教育委員会学校教育部 指導第2課長と意見交換をしてきました。
 広島は世界で最初に原爆投下された都市であることから、市民が被爆体験の意味を理解することで、戦争の悲惨さや平和の大切さを学ぶと同時に、核兵器の廃絶や世界の恒久平和を市民全体で訴えてきました。
また、近年広島市への原爆関連の中高生を中心とした修学旅行者も30万人近くと減少傾向にあると言われている中今後広島市民も含め、「広島が被爆したという事実」をどう風化させず後世に伝えて行くかということも大きな課題になっています。
被爆され当時のことを語れる方々既に70歳を過ぎ年々減少の一途を辿る中、「広島平和記念資料館」が中心になり、原爆体験談の収録や原爆当時の遺品や市民が描いた原爆の絵の収集等様々な活動をしています。
 しかし、小中学生を対象としたアンケートでは、原爆のこと、例えば投下された日時や場所などについてはきちんと知っていますが、平和活動に対しての関心や平和活動に参加するか?等というような、自らの行動に関する問に対しての回答が、年を追う毎に消極的かつ無関心となる傾向で、それらの改善にどう取り組むかが大きなテーマです。
 確かに原爆は悲惨であり、2度と原爆投下という愚行を起こしてはならない。また、長岡でも同じように20年8月1日夜半の空襲の悲惨さを語り継ぎ、風化させないことが大切な平和教育であると思います。

 しかし、残念ながら私も含め今の子ども達は原爆や戦争は体験していない過去のことであり、また、今の小中学生になると家族に殆ど戦争体験者がいないとなると、正に戦争が社会科の本に書かれている「ひとつの歴史的事実」としてしか理解できないのも現実と思います。
 たまたま今朝の新潟日報朝刊に掲載されていた長岡市国際交流協会:地球広場の取り組み「出来ることから身近な国際交流を進める」で『朝目覚めても夕方まで生きていられるか分からなかった。難民キャンプの夜の恐ろしさはもう誰にも味わって欲しくない』とアフリカルワンダのマリールイズさんの話を市民センター地球広場に集まった中高校生が聞き「命の尊さ」「平和の大切さ」をかみしめて欲しい。「世界中で何が起こっているのか?人々がどう暮らしているのか?生の声を聞くことで国際交流に関心をもってもらいたい!」と地球広場のセンター長の羽賀友信さんの談話が掲載されていました。 正に、これだと思います。過去の悲惨な事実を風化させないことも大切な平和活動、平和教育かと思いますが、現在世界中で起きている戦争や内戦の事実を正確に知り、それを学ぶことこそ、今生きる我々にとって大切なことではないかと思います。
戦争というと我々日本人は直ぐに白黒をつけ錦の御旗はどちらか?つまり大義名分はどちらにあるのか?を判断しがちですが、お互いを殺し合う理由、原因等は、対岸にいる我々が、そんなに簡単に理解し判断できることではありません。今起きている事実を正確に伝えることがジャーナリストの役目で、そしてその背景をしっかり学び、その愚行を2度と起こさないように活動し行動することが我々市民の役目ではないかと思います。