長高柔道部OB会総会と思い出

 昨晩年1回の「長高柔道部OB会総会」が開催され、5年振りに出席してきました。
 小生が生まれた年、昭和32年卒の大先輩を筆頭に昭和63年卒の後輩までの10名の参加、ちょっと寂しい総会となりましたが、若き頃の武勇談、おっかなかった監督の話し等、昔話に花を咲かせ楽しい時間を過ごしました。
 長高の教諭で柔道部顧問の先生からも出席頂き、母校の近況を聞くことが出来ました。
 「質実剛健、文武両道」という長高の校風は今も息づいているとのお話に、先輩として何か誇らしさを感じましたが、我が柔道部は、6月1日の県総体柔道大会を最後に引退した3年生3名が去った後は、2年生1人のみとなり毎日の練習もままならない状況で、隣の大手高校の柔道部2名と一緒に練習しており、正に長高柔道部存亡の危機を迎えているとのことに参加者皆驚きました。
 長高柔道部OB会は、小生が長高2年生の時(昭和50年)に、戦前に毎日新聞社主催の全国中学校の全国大会で優勝したメンバーの1人であった故 金子玄致さん初めOB有志、そして小生の父が中心になって創設された会で、当時皆さんからの募金で、東京八王子にある工学院大学で、全国各地の高校柔道部が集まった1週間の春合宿に出して貰ったこと今でも鮮明に覚えています。
 春休みに入ったばかりの夜、寝台急行の普通席に乗り込み、高崎で八高線の普通車に乗り一路八王子へ、合宿会場の工学院大学に着き朝食をとり一休み:仮眠をしていると「起きろ!」という監督の声、直ぐに胴衣に着替え先発組の学校と練習開始。柔道ではあるが、高知商業東海大一高、前橋工業等、甲子園に出る有名校ばかりで只オロオロしながら練習に入り投げられっぱなしの印象の悪い合宿の初日となりました。
 翌日からは、監督の母校である三軒茶屋にある国士舘大学へ出稽古に行きました。大きな道場でやはり有名校との練習試合、新2年生が主体の我が校は10試合やって全て負け、国士舘の柔道部主将を務めた監督の顔は丸つぶれ、本当に申し訳ないことをしたと思いましたが、その時の実力だからと半ば諦めてもいました。
 しかし、毎朝、朝食前のトレーニング、マラソンは全て長高柔道部のメンバーがトップになり、そして朝食を取る態度も素晴らしいと食堂のお母さん達からお褒めの言葉をもらったりしていたので、合宿最終日には監督から「良くやった!朝練は鼻が高かった!そしてお前達の礼儀良さも評価したい。柔道はこれからだ!」とお褒めの言葉を貰ったことも忘れられません。
 その後、私の後輩達はメキメキ力をつけ、3年生の本大会では何年も長高柔道部が果たせなかった中越大会優勝、そして県大会では惜しくも3位に終わりましたが、その活躍は長高柔道部の歴史においても輝いています。
 その活躍の始まりは八王子での春合宿参加、そしてそれを可能にしてくれた柔道部OB会があったからと今も感謝しています。 
 どうにか柔道部を絶やすことなく存続させるためにも「今後道場に顔を出し1人の後輩を励まそう!」と言ったら大先輩に「虐めてくるなよ!」と注意されたOB会でした。