川を可愛がる

hiroshikaro2008-07-30

 先般の集中豪雨で神戸では痛ましい事故が発生した。1997年の河川法の改正により「河川に親しむ」所謂「親水」というような言葉で、河川敷や河川内で遊んだり、学んだりするという観点が加わり、遊歩道。憩いの場、そしてせせらぎ等が河川敷地内に造成され、市民が楽しむ場として整備されている。そんな中での今回の事故である。
マスコミは一斉に河川管理者である行政の手落ちを批判し「サイレンなどの警報装置の設置や、危険を知らせる案内板などの設置等の不備」を指摘している。確かにそのことについては、行政として責任が問われるのは当然であると思う。
しかし、現在川で遊ぶ市民の感覚はどうであろうか?
川は本来水が流れる場所、例え鉄砲水でなくても泳げない者が川に落ちれば一命を落とす危険場所である。その恐れを知らなかった市民が、川や川辺で遊んでいることで、今回のような事故が起きたことも一面ではないかと思う。
プールが無かった昔は、川をせき止め、淵を作りそこで泳いだり、ヤスで魚をついたりして遊んだものだ。
また、洪水時には村人が総動員で土嚢を積んだりして堤防の決壊を防いだものだ。加えて、川の様子・状況は随時、村人が観察していたものだ。何故なら、川の水は大切な農業用水であったからだ。
農業が低迷し、農家が少なくなった今、全くそのような機能を農村すら持ち得なくなってしまった。いわんや都市部では殆ど川は行政任せ、ごみを投げ、汚いものを下流に運んでくれるものと思っている人も少なくないのでは?とも思われる。
つまり、我々現代人、特に都市部の住民は、川を遊び場としてしか捉えておらず、本来川が持つ役割は、治水、利水であるということを知らない市民が多過ぎることから、今回のような悲惨な事故が起こったのではないかとも考えられる。

先般、地元から「一級河川稲葉川の河川内に草が生えたので?」との相談を受け、市役所の河川課に相談に行ったところ「出来れば地元で対応願いたい」と言われ、同行された地元の方は、「これから暑くなるのだから涼も兼ねて、子どもたちと一緒に草抜きをしようと!自分たちの川は自分たちで可愛がらなくては!」と言われたことに感動を覚えた。
川は時にして今回のように大きな災害を運んで来る。しかし、いつもは穏やかな流れは、人の心を癒してくれる。また、冬になれば、屋敷の雪をどんどん運んで持って行ってくれる。そして屋根に降った雨も溜まることなく川が海に運んでくれる。
水に親しむ親水も大切だが、身近な川を可愛がる「親川」はもっと大切かと思う。何でもかんでも行政任せ、行政の責任にするのではなく、自分たちで出来ることは自分たちでやることで、川への理解が深まり、このような悲惨な事故が2度と起こらないことを期待している