第2次世界大戦の死者数

 昨日は終戦記念日、私の住む栖吉地区でも戦没者の追悼式が栖吉神社で行われ、関係者30名が集まり、戦争で亡くなられた英霊の御霊に祈りを捧げた。
 1945年8月15日、日本は米国をはじめとする連合国に負けたということで、被害者意識を抱いている国民が多いと思う。特に昨日も記したように終戦の年の米軍による東京大空襲から、沖縄戦線、そして長岡を初めとする主要都市の空襲、そして、留めは広島と長崎の原爆投下である。ある資料によれば、それらの戦いで亡くなられた方は、東京で10万人、沖縄で12万人、広島で14万人、そして長崎で7万人もの一般市民が亡くなり、それも目を覆いたくなるような壮絶な亡くなり方であった。
 さて、私がドイツで農業実習をしていた1982年頃はまだベルリンの壁は存在しており、当時、連合国が管理していた、チェックポイントチャーリーという「壁の門」が有り、西ベルリン側には今も存在している「壁博物館」があった。
 そこには世界地図が掲げてあり、第2次世界大戦時の各国の死者数が示されていた。
 ソ連:2千万人、中国:1千万人、ドイツ:6百万人、ユダヤ人:6百万人、そして日本:2百万人(昨日の武道館における戦没者追悼式の報道によると日本人戦没者は310万人とのこと)であり、その数はこれまでもずーと私の頭の中に残っている。
また、加えて戦場となった東南アジアのインドネシアベトナム、フィリピン等では、4〜5百万人の死者があったとのこと、色々な資料を調べてみると、この数は随分前後するようであるが、何れにしても戦争により全世界で6千万人もの死者があったとのことである。
第二次世界大戦等の戦争犠牲者数http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM
死者の数から言えば、日本が戦場とした中国や東南アジアでは、日本の死者数の何倍もの人が亡くなっておられ、それも沢山の一般市民が巻き込まれ亡くなっていることは容易に理解出来る。
加えて、当時日本国であった朝鮮や台湾そして満州なども日本人として戦場に派遣されたり、捕虜として強制労働や従軍慰安婦として従順され命を落としたりした人たちも大勢いる。
 これまでこのような数字は、社会の歴史や日本のマスコミでも殆ど明らかにされていないし、日本人が、この数をきちんと理解すれば、戦争に対する見方も変わって来たのではないかと思う。
英霊の御霊に祈りを捧げると同時に、これら戦争で亡くなられた諸外国の市民、兵士の方々に対しても、きちんと祈りを捧げなければならないと思う。
同時に、現代に生きる日本人として、日本国としてのこれまでの戦争責任の取り方、そして今後の世界平和に対する貢献というテーマに対し、もっともっと議論していかなければならないと思う。