ようこそ の気持ち

 昨日は会津と米沢の観光についての感想を書きましたが、自動車で荒川狭を通って山形から新潟に入る直前「また来て下さい!」的な看板が目に入り、同乗していた次男は感心し、すかさず、新潟県に側には「ようこそ!」の看板が有るはずだと心待ちにしていましたが、結局見当たらず、ちょっとがっかりしていました。
 福島から山形に入るときも歓迎の看板が掲げられており感心しましたが、今の新潟は、この「ようこそ!」の気持ちに欠けているのでは?と感じた光景でした。
 手前味噌ですが、全国各地を旅行してもやっぱり長岡・新潟の食べ物は美味いと思います。このように新潟には米や酒以外にも美味いものが沢山あり、みな美味いと思っていても、なかなか『美味い!』という言葉が発せられないのが、新潟人の「しょうしがり家:はずかしがり家」なのかも知れません。
 同様に素晴らしき観光スポットであるのに「灯台下暗し」で、地元の人は馬鹿にして見向きもしない。自らの素晴らしさを自らが評価し、そのことを人に伝え、そして人を呼び込もうという気持ちに欠けているのではないかと思います。
 その素晴らしい食にしても観光スポットにしても自らが評価する術を知らない、人が評価してくれて初めて価値を認めるような所があるのではないかと思います。
 こしひかりにしても、私が小さい頃は「寝る品種:刈り取りの際に倒伏する品種」としてなかなか作付けする農家が少なかったですが、一度、新宿の小田急デパートで飛ぶように売れ東京人に評価されたことが現在の「こしひかり」神話となっています。
 長岡の人からは『遊ぶところがない』『買い物するところがない』『人が来ても連れて行くところがない』のナイナイ尽くめの話をしばしば耳にします。
しかし、良く考えてみればこのように四季がはっきりしており、直ぐそばに山と海が控え、雪消えと共に、ふきのとうから始まる山菜取り、新緑の季節のハイキング、夏になれば海水浴、秋は、再びきのこなどの山菜取り、そして冬はスキーと都会人にすればこれほど自然環境に恵まれている新潟県は羨ましい限りではと思いますが、新潟県人のマイナス的思考、雪から来る暗いイメージばかりが念頭にあり「こんなところ?」と思っている人は少なくないと思います。
 そのような考えを払拭し、是非、自らのそして長岡、新潟の良い所を再発見し、それを全国に発信し、「ようこそ!」の気持ちをもって他市、他県の人たちを迎い入れ、交流することが、長岡・新潟の発展につながるのではないかと思います。
 私が学生時代、憧れの小柳ルミ子がキャンペーンキャラクターとして旧国鉄行った「ディスカバー ジャパーン」ではありませんが、これから我々も「ディスカバー ナガオカ・ニイガタ」の運動を積極的に展開しなければ、皆良い物は他県に取られてしまうのではないかと危惧しています。