教育環境と学ぶ意欲

 先般 JICAのシニアボランティアの方から、アジア、アフリカ、中南米大洋州の諸島での国際協力の実態についての話を聞いた。
 経済的に貧しい国々では学校での勉強もまだまだおぼつかない現状で、字が読めるようになったら学校へ行かなくなるという子ども達も多く、学年が進むに連れて就学率がどんどん落ちていくとのこと。しかし、それらの子どもが皆学校へ行けば当然今の受け皿では足りなくなるので、学校をはじめとした教育インフラの拡充に努めている現状が報告された。しかし、それらの国々の子ども達は「勉強して豊になりたい!」「思う存分文字を学び沢山の本を読みたい」「学んで先生になりたい!医者になりたい!法律家になりたい!」と将来の夢を持ち、その目標に向かって学ぶことへ意欲、憧れを持ち、学ぶことの楽しさを知っているようだ。
 さて、昨今の日本はどうであろうか?教育インフラはきちんと整備されているにも拘わらず、そこで学ぶ子ども達の意欲、そして勉強できることへの感謝の気持ちは殆どないようだ。親も含め学校教育に対しての批判ばかりで、自己中心的な行動をとる子供たちも少なくない。
 私の知人は昭和8年生まれで今年から後期高齢者の仲間入りをし、近々中学校の同級会をするとのことである。当時は一クラスの生徒数も60名近くで、様々な階層からの寄せ集めであり、今のように同じものを着て、同じものを持っているようなことはなかったとのこと。当然いじめもあり、暴力もあったが、皆それぞれ逞しく生きており、いじめが原因で自殺するような子どもは居なかったと話していた。
 この話からすると、何か教育環境の充実と子どもの勉強に対する熱意は反比例するような気がしてならない。また、昨今言われる「生きる力」なんかも、福祉や教育が充実すればするほど低下してしまう傾向にあるように思えてならない。
 「今の子どもたちがひ弱になっているから、教育環境を悪くせよ!」という理論を展開するつもりは毛頭ないが、これまで日本の教育界は、教育環境つまりハードの充実ばかりを目先の目標にして来たために、ソフト:精神的な部分を置き去りにしてきてしまったのではないかと思う。
 「ハングリー精神」とは決して貧しいところでのみ育つものではないと思う。豊であってもやり方、教育によっては十分「ハングリー精神」を育て「生きる力」を養成することは可能だと思うが?
今もなお、教育面に対し目で見えるハード面の充実、整備を望む声は多いが、それよりもソフト面での充実を図るためにも大人も子どもも一緒になって議論する必要があるのではないかと思う。