世界平和の希求

 昨日の「山本元帥と開戦反対」を記し、思うところあって以前携わっていました国際農友会のことを書かせて貰います。
小生が25の歳から41歳になるまで16年間携わって来ました「国際農業交流事業」は、表向きは海外での1年ないし2年間の農業実習を通じて日本農業の発展に寄与しよう!という目的で進められていました。しかし、その事業を実施していました「国際農友会」の設立時の理念には、「世界平和の希求」という大切な文言が入っていました。
国際農友会が設立されたのは、太平洋戦争が終わって間もない時、「世界人」の大部分は農民でした。その農民がお互い理解を深め、手を取り合えばあの忌まわしい戦争は阻止出来たのではないか?その為にも、日本の若き農業者をそれまで敵国であったアメリカはじめ世界各国に派遣し交流を深めることで、戦争のない平和な世界を築き上げる最良の手段であるという考えから、これまで1万数千名もの若者を世界各国に送出してまいりました。
 一方小生が国際農友会に就職した昭和58年からは、ASEAN諸国からの農業青年の日本受入が開始され、これまで1,000人を超える実習生を日本の農家が受入れ、日本での実習を終えた人たちは、「日本贔屓:びいき」としてASEAN諸国で活躍しています。
 派遣事業が始まって既に57年、そして受け入れ事業が始まって25年という「伝統」が築かれ、それら伝統は、彼の国と日本との間の大きな架け橋となっています。
 小生が1年間実習したドイツには、既に350名余の農業実習生が派遣され、そのほとんどがドイツ贔屓となって、毎年1回 11月に場所を変えドイツ会総会と称して一堂に会するドイツ会総会で、実習当時のドイツでの物語、ドイツの家族のことを語っています。
 このように他国の人々と交流することで親近感が生まれ、そして決して争うようなことはしないと思います。頭の柔らかい若い時に海外へ行き、その国と人々と寝食を共にして、汗水出して一緒に活動することは正に武器以上の戦争抑止力になると思っています。
 最近の米国の株価暴落から始まった第2次世界恐慌の原因のひとつとして、米国議会の国際理解の足りなさを指摘する経済評論家がいます。彼の言を借りると「米国国会議員の半数近くがパスポートを持っていない!」とのこと。つまり米国以外を知らない国会議員が半数もいるとなると正に「井の中の蛙、武器を持って他国を攻める」ことも理解出来ます。
 国際交流は「物見遊山」のように言われることもあります。しかし、人を傷つけ殺し、物を破壊してしまう武器を高い金で買うことを考えれば、国際交流の成果として戦争のない平和な世界が実現出来るのであれば、決して高いものではないと思いますが。
目先に利益、お金にばかり気を取られている現代人は、10年後、20年後、50年後、100年後に花開くであろう国際交流の成果等は評価できいのではないかと思います???