ふるさとの原風景

hiroshikaro2008-11-11

 昨年4月に亡くなられた福島県石川市に住んでおられた大先輩の墓参に行って来ました。
大先輩は昭和33年に船でスエズ運河を通りヨーロッパに渡られドイツで1年間農業実習をされた方で、帰国後地元で養豚業を中心とした農業をされて来られた方です。
 また、これまで大先輩はドイツへ行って農業実習を経験した仲間で結成しました国際農友会ドイツ会の会長を務められました。
 墓参に際し宮城の大先輩から弔辞が読まれました。その前段を紹介させて貰います。
『先輩の御出でならない、ドイツ会になり、今日はお別れの挨拶となりました。お元気で、今日までドイツ会を継続できましたことに、感謝を申しあげ、長い思い出を振り返り、お偲びしながら振り返ってお別れといたします。
 出会いは昭和35年ですので、48年前となり、半世紀にもなります。当時は農村の生活も、1日田植えの手間賃が300円でした。ドイツへ出発する前、夢があっても、不安がいっぱいでした。事前研修では先輩からドイツでの体験された以下のお聞きしました。
1 日本人もドイツ人も、同じく生活し格差が無い
2 日本も東洋人としての文化人であり、その特質を知ることである。
3 日本は、ドイツより後から降伏した同じ敗戦国として、友達である、という近親間で楽しく生活することです。
 この励ましには、すっかり明るくなりました。
国からは「農家に実習に行くので、まじめに実習し、終わっての期間は、補足の研修をして来い」という命令でしたので、先輩の発想は、やりたいことを、どんどん話して、やってもらいなさいというお励ましでした。
 このお話は、非常に楽しく、10人10色の体験が出来ました。
私たちヨーロッパ派遣の、ドイツ、スイス、デンマークの派遣生で、帰国後、友翔会を結成して、今年も四国で総会がありました。四年毎の5回、2年毎の8回、毎年が11回続いたことのできたのも、郷さんのお励ましの、自由な実習の結実でもあります。。。。。』
 大先輩のお墓はお宮様と農業の倉庫に隣接した所にある墓地にありました。春には桜が満開になり、今は紅葉に覆われ、そして冬には雪が降る、まだまだ昔のものが沢山残っている福島の田舎の原風景の中にありました。
50年前どんな気持でこの村を発たれドイツへ行かれたのか?
そしてどんな気持で帰国され「ふるさと」のために頑張られたのかを思い浮かべるに足りる風景であり雰囲気でした。
 「ふるさと」とは正に自らの小さい頃の原風景ではないかと感じた瞬間でした。
これまでは、実家や両親・家族そして竹馬の友がふるさとだと思っていましたが、人は生まれそしてやがて死にます。「ふるさとの原風景」こそが我が心の「ふるさと」であると感じました
原風景も時代の流れにより変化します。戦争や都市化によりその原風景もなくなってしまった所は少なくありません。
何処の地方都市にいってもコンビニ、パチンコ店、ガソリンスタンド、ドラッグストアー、背広店、スポーツ店、書籍店、牛丼店、スーパーそしてファミレスが建ち並び、一体ここは何処か?
正に地方都市のバイパス沿いは金太郎飴の如く何処へ行っても同じ風景になってしまいました。
原風景を壊してしまった我々は、心のふるさとを失ってしまい、心の安定をなくしてしまったのではないかと感じました。
ふるさと納税」という制度が開始されましたが未だ思うように税収は上がっていません。
開発や近代化といって「ふるさと」の原風景を壊してしまって「ふるさと」をなくしてしまっては「ふるさと納税」といっても「笛吹けど踊らず」です。