言葉の慣れ、家族の馴れ合い

最近我が家では、「言った!言わない!」「言ったことと、やっていることが違っている?」「打ち合わせしたのに?一体なぜ故」というような言い合いが多くなったように思える。
 家にいる長男、次男も大きくなり、学校や部活で忙しく、そして疲れているので、余計なことは話したくない。言われていることも適当に聞き流し空返事をしてしまう。また親である我々も一方的にまくし立て、相手が理解していると錯覚してしまっている。親子の馴れ合いから来る問題であると思う。
 また社会全体が言葉を発しなくても時間は進んでいくし、不自由なく生きることが出来る態勢になっていることが大きな原因であると思う。人間の代りに自動販売機が、自動ドアが勝手に「ありがとうございました!」「いらっしゃいませ!」と言って呉れる。また、コンビニでは「はい、いいえ」さえ言えば物が買え、ことが足りる。
 さて、海外へ行った時はどうだろうか?当然外国語なので苦労する。相手が何を言うか真剣になって聞く、自分の言うことも間違えないようにと良く頭の中で推敲してから発言するし、律儀な日本人は文法に細心の注意を払って発言する。
 また、相手が何者かを確認するためにきちんと挨拶する。何かして貰ったり、物を貰ったりすれば、いくら親しい人に対してもきちんと「ありがとう!」とお礼を言う。これがコミュニケーションというものだが、緊張感のないぬるま湯に浸かったような日本社会では、益々、このコミュニケーションが疎かにされてしまっているため、結局、家族、社会全体がぎすぎすしてきてしまってはいないだろうか?
 ドイツに居た時、何かしてもらうと「ダンケシェーン:ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えたものだが、ある人は「ダンケ:ありがとう」でいいのだと言う。外国人である自分にとっては、「ダンケ」も「ダンケシェーン」も同じ感謝の表し方、それでは、より丁寧な「ダンケシェーン」の方がお互いの関係が良くなるのであれば、丁寧な言い回しを使っていたことが私のドイツで上手く生きる秘訣であったと思う。
電話を掛ける時も、相手の確認が終わると直ぐに用件に入るのではなく「ビー ゲーテス イーネン:ごきげんはいかがですか?」と聞く、相手は「ダンケ グート:ありがとう元気です。」と喜んで応えてくれるので、その後の会話はスムーズに進んだ。
このように会話・挨拶は生活をしていく上に欠かせないものであるにも拘わらず、今の日本はより簡単、より安易な気持ちの入らない会話になっていることに大きな危機感を感じる。
 まずは家の中の会話を正常に戻すことを心掛けなければならないと思うし、子どもときとんと向き合って話をする時間を取らなければならないと思う