困らない大都市:アリとキリギリス

 JRの信濃川の水利権不正使用により、山手線の電力を発電している信濃川発電所の取水が停止された。しかし、この取水停止による発電量の減少分は他の火力発電所の稼働を増やすことで対応し、JR東日本のダイヤや運賃には影響ないとのことであるが???
 一体何なのか?安全で危ない世界一の柏崎・刈羽原発が停まった時も、そして現在なお停止中でも、その電力の供給を受けていた首都圏在住の住民は何ら困らないし、実際原発が停止していることすら忘れてしまってはいないのか?そして今回の山手線の電力供給をしている発電所が停止しても何ら影響がないとのことに大きな疑問を感じる。
 困らないのであればこのまま停止し続けても良いのではないか?原発周辺に住む我々新潟県民が危険に晒されているのであれば、なおのことこのまま稼働しないで欲しいと思うし、信濃川発電所の取水が止まり、引き替えに信濃川の水量が豊富になり、生態系が豊になるのであれば、今回の停止は地元住民として歓迎すべき事のように思う。
 結局は、原発水力発電所も皆東京はじめ首都圏住民の生活を守るため、我々地元住民は多大な犠牲を払って対応していると思っていたのに、それが止まっても、その電力の恩恵を受けている首都圏住民は痛くも痒くもないのであれば?
 空気も家族も、そして日常という時間も、当たり前に思っていれば何の有難味もないが、少なくなったり、亡くなったり、病気になったり、そして何かあったりした時に、そのものの本当の有難味を知る機会になるのに、今の日本の大都市は、その有難味を知る機会さえ与えないおかしな社会になってしまったのだろうか?金さえ出せば何でも出来る、金さえあれば何があっても困らない、これが正に現代の大都市の生活スタイルであり、そのことが豊かな社会なのかも知れない。
 何れにしても、ちょっとは何かで困り、人の有難味、当たり前という有難味、そして、いつもと同じという有難味を感じることが出来るような社会に戻さなければならないと思う。このまま突っ走れば、義理も人情もない、そして感謝の気持ちもない、金・金・金のギスギスしたキリギリス社会になってしまうような気がしてならない!!!