静岡県知事が辞意

 今日の朝刊で静岡県知事が辞意「空港立木問題打開図る」との記事が目に飛び込んできた。
 『静岡県の富士山飛行場の完全開港を目指して、その障害となっている立木の除去をするため、権利者から出されていた条件の「知事の辞職」をのむことにした。』との報道である。静岡県石川知事のHPの記者会見のページを見ると、これまでの経過が詳しく書かれている。
 しかし、これまで権利者と知事・県との間にどのような関係・やり取りがあったかは書かれていないが、知事という職を賭してまでも完全開港を目指す知事の気持ちは理解出来ない訳ではない。
 しかし、この7月までの任期しかないとは云え、県民に選ばれた知事が1人の権利者から出された『無理難題』を受け入れ辞めることについては、大きな違和感を覚える。
 私も測量士という立場上、色々な方から土地の境界確認等の同意(判子)を貰うため常日頃大変苦労している。夜討ち朝駆けではないが、先ずは会って貰い相手の誤解を解くことから始まり、次は相手の条件を聞き出し、そしてその条件をどのようにのむかということで対応してきた。幸いかなこれまで関わった案件では、裁判に訴えたりするような段階までは行ったことはない。
 しかし、これらの経験で学んだことは、いくらこちらが良いこと、正当な事だと思っていても、立場が変われば相手の考えも逆となり、取り合ってはくれない場合が多く、結局物別れに終わり、事業は立ちゆかなくなり棚上げ状態になるものも少なくない。
 「今の時代、公よりも個人が優先される時代なのか?」と錯覚する程、ごねたり、文句をいう個人の権利は強い。逆に、文句を言わないおとなしい個人に対しては、公はめっぽう強いように感じられ、個人の権利が侵害されている場合も少なくない。
 要は『ごねる』『大声で怒鳴る』『法外の条件を出してみる』このようなことをする個人に対して公は非常に弱いような気がするし、マスコミなんかも公・公人はおおぴらに批判するが、ごねる個人、明らかに間違っていると思われる個人であっても、一個人をおいそれと批判することは出来ないことが、現代社会の大きな間違いであるように思う。

 私も一政治家・公人である。我々政治家は、しばしば個人的な事までも批判されたり中傷されたりすることがあり、面白くないことも多々ある。きっと石川知事もこのような公、公人から身を引きたいと思っての「辞意表明」なのか?とこのコラムを書きながら感じている。