交通格差が教育格差に

萱峠から守門岳を望む

 昨日山古志支所を訪問コミュニティバスの話を伺ってきました。
山古志住民が一世帯当たり5,000円を拠出してコミュニティバスを運行しているとのこと。免許証を持っている大人は車で移動出来ますが、免許を持っていない子ども特に高校生は公共交通機関がなければ、長岡や小千谷の高校に通うことが出来ず、市内でありながら下宿やアパート住まいをしなければ勉強できないとのことで、コミュニティバスは高校生の通学に無くてはならないものであると力説されていました。

また、コミュニティバスは道路と同じく、日頃利用しない人でも山古志という集落・地域を維持していくため子ども達のため、皆でお金を出し合ってバスを運行するのだという強い意志で、運営されている話を聞いて大変感動しました。
先月和島小学校を訪問した時も同様な話を聞きました「長岡からの和島への終バスが早い時刻のために、高校での部活動をすると帰って来られないとの話を聞きました。
公共交通機関の利便性で子どもたちの進路や学業が左右されるという状況は、市街地に住んでいる私にとっては、恥ずかしながらこれまで余り意識したことはありませんでした。合併した地域にあった高校も生徒数の減少で統廃合されたりして、合併地域に住む子ども達にとっては、ますます高校が遠くなってしまったと感じられるのではないかと思います。
地方に住む者にとって、東京の大学は正に同じ感覚です。当然自宅から通うことが出来ないので、寮やアパートなどに入らなければならないのが現状です。
給与所得が都会に比べて低い地方なのに、適当な大学が地方にないということで、教育費の外に高い生活費を負担しなければならない現状をどうにかするのが政治の役目かと思いますが?
つまり交通格差が教育格差を生んでおり、地方に住むより都会に住んだ方が賢い生き方のように思われますが、果たしてそのような考え方が当たり前になって良いのか?疑問に思う今日この頃です。