様々な顔をもつ山口県

hiroshikaro2009-08-13

 先週山口県を訪ねてきました。山口と言えば明治維新の時は長州:官軍、長岡は賊軍とうレッテルを貼られ2回も戦火に遭わせた宿敵の県。明治時代は官軍、賊軍という関係にそう変化はなく、山口は政治の中心を歩き続け、長岡は煮え湯を飲まされた感もありました。
 山口は、初代の総理大臣 伊藤博文から始まり、山懸有朋、桂太郎田中義一寺内正毅、岸伸介、佐藤栄作、そして安部晋三の8人もの総理を輩出しています。


 現在の麻生太郎が第91代の総理大臣ですが、山口の8人の総理は、91代中17代も総理大臣を担っており、その割合は18.6%にもなり、正に明治以降日本の政治を担う人物を輩出してきた県です。
 しかし、今回、県庁所在地の山口市長州藩の中心都市の萩市、そして山口県最大の都市である下関市を訪問して感じたことは、それぞれの都市が、それぞれの思いで発展してきた、つまり山口県として纏まって発展してきて来なかったという印象を受けました。山口市は山陽圏、萩市は山陰圏、そして下関は九州圏といった感じで発展してきたという印象を受けました。
 本来県庁所在地の都市がその県の顔であるのが普通かと思いますが、山口市は政治の中心、下関は経済の中心、岩国市、周南市防府市などの瀬戸内沿岸の都市は工業の中心、そして萩は歴史の町といった印象が強く、山口県は様々な顔を持った都市の集合体とうい印象を持ちました。
 今回訪問した観光地の山口市湯田温泉萩市そして秋芳洞(あきよしどう)は、最盛期に比べ観光客は半減しているとのことで、何処も彼処も不景気の風が吹き荒れているようで明るい話はありませんでした。
 今月末の選挙は、政権交代選挙と言われていますが、言い換えれば「平成維新」に当たる選挙になるかも知れません。明治維新以来、政治の中心を歩んだ政治家を輩出し続けてきた自民党王国山口県が、この平成の維新でどのように変わるのか?大変興味深いことです。