地区戦没慰霊祭

栖吉神社忠魂碑前

 今日8月15日は「終戦記念日」、毎年恒例の栖吉地区戦没慰霊祭が栖吉神社 忠魂碑前で執り行われ、遺族会、地区関係者30名近くの方々が参加され滞りなく行われました。
 遺族会の方々も高齢化が進み、今年から神前の正面にブルーシートが敷かれ、祭事が始まるまで腰を下ろせる配慮がなされました。

 私の父方の叔父は南太平洋で戦死、母方の叔父はフィリピンで、それぞれ20数才という若さで戦死しました。叔父と云っても私が生まれる10数年も前に亡くなり、既に私は、とうの昔にその叔父の年齢を超えてしまっているので、仏間に掛けられている軍人姿の遺影からしか叔父の様子は伺うことは出来ません。
 しかし、狂気の戦争時代に生まれ、たまたま血気盛んな若者時代に開戦を迎え若さ故に徴兵され、人並みの幸せである結婚そして子どもをもうけることもなく戦死したことは「非常に運の悪い」ことであると思うと同時に、そのような時代を恨むと共に、決して戦争はしてはいけません。戦死した叔父達にとっては「弟達のようにもう少し遅く生まれていたら?」と思ったかも知れません。
 戦死した叔父、そして地区の方々の御霊をお祭りすることは将来的にも大切なことであると思います。しかし、家族制度が崩壊し、地域のコミュニティの絆もだんだん弱くなって来ている現状では、なかなか難しいことのように思えます。
 戦死した方と直接関係のあった遺族(妻、子どもそして兄弟)には、英霊達の御霊を守るため、僅かではありますが政府から「遺族年金」が支給されていますが、その遺族も亡くり年金も支給されなくなってしまったら、一体誰が御霊をお祭りしていくのか?
 不条理な理由で徴兵され、そして不条理な戦争で戦死をされた英霊達の御霊を、永代守るための仕組みを今考え直さなければならないと思います。そういった意味で今の「靖国神社」の有り様をどうするかを検討すべき時期かと思います。