議会一般質問

hiroshikaro2009-09-10

 本日防災関係の質問をしました。質問原稿は以下の通りです。長いのですがお読み頂きご意見をお聞かせ下さい。
昨年5月の中国四川大地震の記憶もまだまだ新しい中、中越大震災から5年となる、来る10月16日(金)から18日(日)の間、当市において「防災・安全・復興に関する国際シンポジウム」が開催されます。国内外から大勢の関係者が一堂に会して、新たなる防災・安全・復興に対する提言が長岡から全国・世界に発信されますこと大いに期待しております。
長岡市は、平成16年の中越大震災の際、多種多様の大量の救援物資が届き、救援物資の仕分け、配布に職員の労力が費やされ、結果被災者への対応に苦慮したり、救援物資の善意が被災地では必ずしも生かせる形になっていなかったりしたことから、平成18年の地域防災計画改定の際に「個人からの救援物資は原則受け取らない!」という方針を打ち出し、大きな反響を呼びました。それと並行して災害時に必要な物資を迅速に調達するマニュアルを作成し、物資調達の仕組みを全国の自治体に発信し、現在全国的な議論へとつながっております。
 また、中越大震災では多くの場所で、強い地域コミュニティがボランティアの役割を担い、自然災害に対しては「全市民防災要員」という思想から、全国に先駆けて平成18年「中越市民防災安全大学」を開学、地域の防災リーダーとなる「中越市民防災安全士」を養成、既に156名の方が認定を受けられました。
これら認定を受けられた方の相互のネットワーク形成、防災知識や技術の更なる向上を目的とした「中越市民防災安全士会」が平成19年3月に設立され、現在、自主防災会の訓練等に講師として参加され地域の防災力向上の為活躍されておられますことに敬意を表します。
このように長岡市は相次いで大きな災害に見舞われた経験を活かし、これまで防災の常識と考えられていたことをしっかり検証して「防災先進都市 長岡」として、防災に関する施策や制度を全国・世界に発信し続けていることを誇りに感じ、関係者の方の日々の努力に敬意を表します。
しかし、災害はいつどのような形で起こるか予測がつきません、また社会の変化は激しく、新たな様相をもった人的災害等の発生もあり得ます。一方、防災関連の技術革新も急速に進んでおります。従って、中越大震災から5年経った今、ここで再度防災について検証する必要があると思い質問します。
 初めに事前の対策も含め災害発生時の具体的な自助・共助・公助の役割についてどのように考えておられるかお聞かせ下さい。
去る2月機会あって名古屋市熱田区役所で自主防災会の方と「地震災害時の対応」というテーマで意見交換をさせてもらいました。
 名古屋の方は、我々の中越大震災での体験談を興味深く聞き、その後、各自主防災会の取り組みについて紹介、最後に意見交換会が行われました。
 参加された自主防災会の方は、地域コミュニティを担っていると自負されておられる方ばかりで「地域住民の安全は俺達が守るのだ!」と震災時の初動体制や要援護者の救援体制等について力説されました。
 しかし、お話しを聞く内に「自宅の耐震化は大丈夫ですか?」と質問すると「耐震化にはお金がかかり、高齢者世帯では手がつけられない状況です!」と答えられ「幾ら震災後の自主防災会、所謂『共助』の計画・準備・活動が万全であったとしても、自分が死んだり、怪我をしたりして動けなくては元も子もない。人を助けようと思っていた人が助けて貰うようでは本末転倒では?」と話した所「その通りですね!」と言われました。
 このように、災害発生時は、先ず自分そして家族の命・安全を守る、自分のことは自分で行うという「自助」、それから隣近所、地域で助け合う、地域のことは地域で完結させる「共助」、そして最後に行政と地域が一緒になって行う「公助」の順で、ひとつひとつ段階を踏んで確認、準備していく必要があると思いますが、現在その役割分担が明確になっていないような気がします。特に「自助」の部分が曖昧であるように感じられますが、事前の対策も含め災害発生時の具体的な自助・共助・公助の役割をどのように考えておられるかお聞かせ下さい。

次に、自助の分野である個人住宅の耐震化の促進について質問します。
政治・行政の最大の任務は「市民の生命・財産を守ること!」。地震発生後逃げ込む避難所となる学校等の公共建築物の耐震化は、近年政府の緊急経済対策のひとつとして積極的に進められておりますし、当初示された目標を前倒して実施されている現状は大いに評価します。
それに比べ、自助の分野となる「個人住宅の耐震化対策」は、地震の被害の恐ろしさや建物の耐震化への認識は高くなっているにも拘わらず進んでいません。
平成19年度に長岡市が行ったアンケート調査で、耐震化が進まない原因として、
○耐震化に費用がかかり過ぎる。
○家財の移動の手間がかかる。
○耐震改修をどのようにすれば良いか分からない。
○相談先や助成制度などの情報に乏しい。
と報告されております。
そして、長岡市はこれらの課題について、基本的な取り組み方針を出しましたが、それでも耐震化はなかなか進まず、耐震診断はするが、耐震改修・補強まではしないのが現状です。
震災復旧時に被災状況・建物の損害状況に応じての生活支援金等を出すのであれば、被災前の命を守るための方策に対して何らかの手立てを講じるべきではないかと考えます。
例えば、家全体の耐震改修は経費的に高いので、とりあえず寝室のみを耐震補強する「耐震シェルター化」や眠って居る時、家具の転倒、天井からの落下物の下敷きにならないような「防災シェルター」や「防災ベッド」等の枠の設置について補助制度を創設し、行政として積極的に普及・推進してはいかがかと考えますが、現状はどのようになっているのかお聞かせ下さい。
また、住宅の耐震改修は補助金を貰っても相当のお金がかかるので、高齢者世帯や生活困窮世帯にとって耐震改修は、なかなか進むものではないと考えます。先ずは、高齢者世帯や生活困窮世帯に対しての制度・施策をつくるべきかと思いますで、国・県に対し住宅の耐震化制度の見直し、補助金の増額、「耐震シェルター化」等の設置補助等を積極的に要望していただきたいと考えますがいかがでしょうか。
 次に、市民の防災意識の向上について質問します。
初めに、自助の分野をより明確に示すことで防災意識の向上が図られると考えますがどうでしょうか?
これまで述べたように、自助の分野、そして自己責任の範囲が明確にされないまま、共助や公助の施策が進んだため「地震災害時、市民は取りあえず避難所に逃げ込めば!そこには食料も寝床も情報も救援物資も集まり、そしてトイレもテレビもあり、電話も無料で掛けられる安心できる場所だ」と思っている市民は少なくないと思います。
特に、先の中越大震災の際に避難所で生活した方は、地震発生後、直ぐに避難所へという行動が脳裏に刷り込まれているため、自宅を避難所と考え耐震強度を持たせ、最低3日間の食料の備蓄や非常持ち出し荷物の準備をする必要性は感じず、非常時の個々の対応もなかなか徹底できないのが現状かと思います。そして個人住宅の耐震化よりも、学校や公共の建物の耐震化が優先しているのが現状かと思います。
発災時の避難先は避難所でなく、まず我が家であるという意識を向上させ、家は強く安全にという措置を施すことで、人命確保、人的・物的な被害を軽減できるとうという予防効果が発揮でき、また、災害後の行政の対応負荷も大幅に軽減出来る効果が期待されます。
こうした災害予防・減災のための自己努力が、3日間程度の自給・自立を可能にし、もっと大変な人に力を結集するための「全市民が防災要員である」という思想にもつながると思います。
自助の分野をより明確に示すことで防災意識の向上が図られると考えますがどうでしょうか?

 次に、共助の面からは、各地域の訓練は震災の経験を活かした具体的な内容とすべきと考えますがどうでしょうか
これまで町内会や自主防災会で実施してきた防災訓練の内容は、消防署職員を招いての、防火に関する講話、初期消火、心肺蘇生法、そして昨今はAEDの使用訓練が主だったと思います。未だバケツリレーを実施している地域も見受けられますが、あれだけ大きな地震を経験した長岡市民にとって、防災訓練の内容をより具体的かつ有効なものとすべきと考えます。
私事ですが、中越大震災の年:平成16年は新潟地震から数えて丁度40年の節目の年にあたるということで、夏休みの8月下旬、地区子ども会の夏のキャンプを「防災キャンプ」と銘打って全国に先駆けて実施しました。実施に当たっては先進事例を探そうとインターネットで「防災キャンプ」で検索しましたが、当時はそのようなキャンプや訓練等している所はありませんでしたので、阪神大震災で蓄積されていた情報を勉強し独自で防災キャンプを企画しました。
地区防災センターである小学校体育館に寝泊まりし、地区防災センター長はじめセンター職員となる長岡市職員と一緒に備蓄物資や体制の確認、防災の心得、非常持ち出し荷物の点検、心肺蘇生法、応急手当、ロープワーク、グランドで河原から拾った石を使って野外炊飯用の炉作り、蒼柴の森で枯木拾い、それを燃料にして鍋でのご飯を炊き、ブルーシートと竹棒を使って簡易テントを作り、消防団員との初期消火訓練と小型ポンプによる放水、そして地区防災マップ作り等、様々なことを実施しました。
それから2ヶ月後中越大震災に見舞われました。キャンプに参加した子どもたちの対応の良さに親御さんたちは感心されましたし、地震翌日の避難所での炊き出しには、キャンプで使った石やブルーシート、そしてキャンプで学んだノウハウが大変役に立ちました。
 その後3年間、毎年内容を改善しながら実施しました。3年前は「誰もが地域の応急復旧要員」をテーマに地域のマップ作りに取り組み、
○道路に埋設されている管渠が汚水管か雨水管か水道管かガス管か?
○電柱は、東北電力、NTT、ケーブルテレビの電柱か?
○道路は国道か県道か市道かあるいは里道か?
○水路は一級河川か普通河川か農業用水路か?
等を子どもたちと一緒に見て回り、最後に電子地図に取り纏めました。
 我々だけではなく、様々な取り組みをしている地区は沢山あると思います。是非このような取り組みを皆で共有できたら、防災訓練、演習などがより実践的かつ役立つものになると思いますので、行政として取り纏めをして、実践的な訓練内容の啓発・推進に努めるべきと考えますがどうでしょうか。
 次に避難所の運営について質問します。
中越大震災の際は、長岡市役所職員がセンター長となり、地区防災センターの運営に当たりました。地震発生後、直ぐに地区防災センターが開設されましたが、当時地区住民は、防災センター長が誰かは知らなかったと思います。また、毎年の人事異動等により数年で代わるセンター長も少なくなく、今でも地区防災センター長の地域での認知度は極めて低いと思います。
中越大震災はじめ災害よっては大勢の住民が避難所に一斉に集まってくることを想定した時、地区防災センター長は、住民に指揮命令し、取り纏める能力を要し、地元住民に良く知られた人材であるべきと思います。
そのためにも事前にセンター長を含め地区の防災リーダー的な人材を決めておき、地域に紹介しておく必要があると思います。
地区毎に防災関係者、例えば市役所職員、消防団員、防災安全士、そして現在あるコミュニティ推進委員会の構成員等をメンバーとする仮称:地区防災連絡協議会を立ち上げ、日頃から防災に関しての活動をすべきではないかと考えます。
そしてその協議会のメンバーから地区防災センター長初め防災リーダーを選任し、これまでの市役所職員が主体となった避難所の運営体制から地区防災連絡協議会のメンバーが中心となった体制へと移行すべきかと考えます。そして市職員は避難所と役所との連絡調整を担う形で参画することでどうでしょうか。そうすることで、避難所対応の市職員の数は随分減らすことができ、応急復旧の仕事に取り掛かれる職員数を確保することが出来ると考えますがいかがでしょうか?

 最後に中越市民防災安全士の活用について質問します。
冒頭にも紹介した、全国に先駆けて開学された中越市民防災安全大学の卒業生は、「中越市民防災安全士」の認定を受けられ、その同窓会的存在の「中越市民防災安全士会」では、昨年度は延べ35人の防災安全士の方を16の地域・自主防災会に派遣し「防災講話・訓練」「自主防災会結成の説明」をされました。今年度は未だ年度半ばですが、既に延べ43名もの防災安全士の方が16カ所で活躍されているとのこと、本当に頼もしく感じると同時に重ねて感謝申し上げます。
これら安全防災士の方は、正に地域の防災リーダーであると思います。先程述べました「仮称:地区防災連絡協議会」の立ち上げから、地区の防災訓練、そして防災センターをはじめとする避難所の運営等に安全士の方の力をお借りして具体的に進めて行くべきではないかと考えますがいかがでしょうか。
 特別な教育・訓練を受けられた全国にも誇れる「中越士市民防災安全士」の方の活躍の場もしっかり創設することは育てた者の務めではないかと思います。
 災害に対する、予防、発災後に続く応急社会秩序維持、応急復旧、本格的復旧復興に防災安全士の方の力が十分発揮できるような体制整備に努めていただくことを最後にお願いします。

去る9月7日の新潟日報朝刊のニッポン近代考の欄に「すべてを奪う津波 記憶薄れ緩む警戒」というテーマで、昭和8年3月3日に発生した三陸沿岸の津波で死者行方不明者約3千人を出した津波の体験者 千葉敏子さんが「今の人たちは避難しねえで、テレビを見ている。海岸に津波を見に行く人もいる。『逃げろ』と言っても聞かねえ。油断が一番おっかねえ」「悲惨な記憶は継承されず人々の警戒心は緩む」と掲載されていました。
 大水と大震災から既に5年、私たちの記憶は復旧復興と共に徐々に薄れていきますが、災害に対する警戒心をどう薄れさせず、緩ませないかが防災教育の重要なポイントだと思います。
 「津波に対して高くて頑丈な堤防が出来ても、地震に対して強い建物・地盤が出来たとしても、自然の力は計り知れない程大きなものです。日頃から我々市民は自然に対して「畏れる」という気持ち忘れず、人間が作った構造物や制度に安心することなく、共助や公助に頼る前に、自らの身は自らが守る、常に自助の気持ちを持ち続けることが大切である」
 このことを長岡市民に発信し私の質問を終わります。