家で死ぬること

 一昨日元財務大臣中川昭一氏が自宅で亡くなった。変死の疑いがあり警察が捜査に入ったとの話であるが、現代の日本社会に於いて自宅で死ぬことは非常に希なことであり、何か事件性があるのでは?と疑われる結果となり、現代人の死に場所として自宅は相応しくない場所になってしまったのだということをこのニュースを聞いて実感した。
 介護保険が導入され福祉施設が未だ不十分とはいえ介護は必要になった高齢者は自宅ではなく施設で介護を受けることがほとんどである。昨日ある特養の施設長に「お宅は今何人まちですか?」と尋ねたところ「260人余りですかね」「何時になったら入所できるのですか?」「症状が重篤になれば入ることは可能かと思いますが、現実は入居者がお亡くなりにならないとベットは空かない状態ですので」「つまり誰かが亡くならないと入所できない訳ですね?」と尋ねたところ「左様です」とのことでした。
 現代の高齢者の終の棲家は、養護施設か病院、そして高齢者でなくても病気や事故が原因で亡くなる場合は、殆どが病院である。
 最近は介護疲れから介護している人が相手を殺すという悲惨な事件も珍しくなく、例え長い間病気で寝込んで居て、寿命を全うし自然に亡くなったとしても、正式な医師の死亡診断が無ければ社会的には「人の死」は認めて貰えないようである。
 つまり、臨終に当たっては、最終的には掛かり付けの医師か?或いは息が絶えていても救急車で病院に搬送して病院の医師に診て貰ってからでなければ死が確定しないとい現実は、自分としては一寸受け入れ難いことだ。
 昔、施設など無い時代、自宅で家族から介護や看護を受け、そして家族に看取られ死ぬることが当たり前であり、逆にそのことは、その人にとっては幸せなことであると思うが、今の時代医師に看取られなければ社会的に死ぬことが出来ないことは、現代は昔に比べ豊かな社会になったというが、自宅で普通に死ぬことが難しくなったことは昔よりも不幸な時代になったように思える。
 猫は亡くなる時は何処かへ行って飼い主の目から逃れて死ぬ!という話を聞いたことがあるが、人に看取られずに一人で亡くなる孤独死は大きな社会問題であるが、出来れば私は孤独死であったとしても出来れば自宅で死にたいものだが???