日新館

hiroshikaro2010-01-04

会津藩と長岡藩は切っても切れない縁、中越地震の年に会津藩侯行列に長岡藩鉄砲隊の一員として参加させてもらってからは、縁あって会津若松市を良く訪れるようになり、今回は機会あって日新館を訪問してきました。

 武士の子弟を教育する藩校で以下に示す「什(じゅう)の掟:グループの掟であって10の掟ではない。」で有名な藩校です。

 当時は鶴ヶ城に隣接したところにあったものを鶴ヶ城から数キロ離れた高台に復元された施設で、当然のことながら市有施設と思っていたのですが、話を聞いてみれば民間:株式会社が運営しているとのことで、年間10万人を超す来訪者で賑わっているとのことです。長岡市はじめ新潟県内の小学校の修学旅行でもしばしば利用されるとのことで、修学旅行が盛んな春秋は弓道体験などは長い列が出来る程の賑わいとのことでした。
 資料館はじめ武道館や弓道場、水練場等昔を復元した施設ですが、会津藩当時の建学の心が、それも民間人の方にきちんと引き継がれての復元、そして現在の利用に感服しました。
 案内頂いた方は、「このような施設は公営よりも民営の方がよりきちんとした役割が担える。運営は大変だが、関係者皆知恵を絞って頑張ることが大切だ!」と話されていました。正にこのことこそ「建学の精神」につながることだと思います。

 さて、我が長岡にも藩校「崇徳館」がありましたが、こちらは藩士の子弟だけではなく町人も学べたとのこと。
 昨日から始まったNHK大河ドラマ龍馬伝」では土佐藩の上士と下士の分け隔てがあり大きな差別があったようですが、差別のない皆一緒に学べる社会こそ教育を発展させ、そして優秀な人材を輩出できる環境であると感じました。
【エピソード】
 私が26年前に東京で働き始めた時に面識を持たせて頂いた方が会津藩主第13代の松平保定さんです。当時旅行社の役員をされておられた松平さんに名刺を出したら「俺は殿様だ!君は家老様か!これから仲良くやって行こう!」と云われ、その後公私に亘りお世話になったことを思い出しています。
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日新館マップ