天気差

 よく考え方や感じ方が違う場合「温度差」という言葉を使いますが、正に今の季節は「天気差」という言葉が合うよう感じます。
 今冬は、暮れから今日まで長岡の天気は雪降りの寒く暗い毎日です。新年を迎えたとはいえ雪国で暮らす我々は心機一転、晴れ晴れとした気持ちに未だなれません。
 一方、裏側の太平洋側はこちらとは打って変わって、毎日青空が広がる快晴続き、朝方の温度は低くなるとはいえ、日中日が射せば、ぽかぽかして心もウキウキし足取りも軽やかになり、自然とやる気も湧いてくるのではないかと思います。
 大学時代を北関東の宇都宮で過ごした時に分かったことですが、宇都宮は1月が一番日照時間が長いとのこと、日は短いのに何故?と思うのですが、つまり毎日毎日晴れて乾燥しているということになります。
 朝はマイナス10度以下を記録し布団の襟に吐息の霜がついたこと、雪国で育った自分にとって「冬なのに、こんなに天気が続いて良いのだろうか?」と柔道の練習が終わり2階の柔道場から遠くの西南方向に夕焼け空にくっきり表れる富士山をボーと見つめていたことを思い出します。
 今は情報化時代、電話はもとよりメールのやり取りが頻繁となり、瞬時の電子会話が可能となっていますが、昨今天気の良い東京から来る情報は、「やる気満々、強い気持ち」の内容のものが多いように感じられ、受け取る側である天気の悪い我々雪国人にとっては「その内容は強過ぎるのでは?もっとゆっくり、もっと穏便にできないのか?」と感じられる昨今です。
 我々雪国人は、東京の天気を恨めしく思い、せめて1日でもダルマさんマークが東京についてくれ、逆にお日様マークが長岡へとテレビの天気予報を見て愚痴っていた東京育ちの今は亡き祖母を思い出しています。
 こんな感じ方が「温度差」ならぬ「天気差」ではないかと思いますが、皆さんも感じられたことありますか?