自助の充実

当時に山古志の現状

 昨日1月17日は阪神淡路大震災から15年の節目の日、大震災の経験を風化させていけないということで、マスコミは15周年特集ということで様々な企画番組を行っていました。
 地域コミュニティーの大切さ、全国各地からの支援に対する感謝の気持などが中心に報道された番組が多く、その後の我々が中越地震で経験し学んだ、『不特定多数の方々からの善意である「支援物資」は、大混乱時の受入、分配、そして余った際の処理に大変苦慮した経験から、原則救援物資は受け付けないとする「長岡市の決断」』等残念ながら報道されることなく「寒さの最中に衣服を貰って助かった!」との美談や震災で家を失い、家族を失い、一人淋しく孤独死をされる方が後を絶たない現代社会の問題点を報道するのが中心だったような印象です。
 今回の報道内容をみても、今我々が論じていることは、地震後の対応策:つまり病気に例えれば「治療」の部分が中心であって、事前策である「予防」部分については、残念ながら余り論じられていないのが現状かと思います。
 具体的には、家を失い、家族を失った一つの大きな原因は「耐震性のない部屋、家に住んでいたこと!」、そして孤独死の原因は「家族の絆が薄れ、核家族化が進んでしまったこと。」「社会福祉の充実に伴い、家族の助け合いが無くても、金さえあれば一人で自由に暮らすことが出来るようになった。つまり平時は、個人の自由であることが、災害時には裏腹となり、金があっても、誰も助けてくれる人は居ないという現実であった。」ということなどをきちんと提起し、これらの問題をどう解決して行かなければならないのか?
 そして、これまでこれらの問題を行政として取り組んでは来てはいたが、なかなか解決に至らないでいる現状をどう検証するかを国民全体の議論として明確に打ち出すべきかと思います。
 カリブ海の国ハイチでは多くの家が倒壊し多くの市民が亡くなりました。そして今、その救援に多くに国から物資や救援隊が送られている現状報道は心温まるものがあります。しかし、ハイチの市民がもっと地震に強い家に住んでいれば、これ程までに多くの犠牲者を出さなくて済んだということは明白な筈です。

 兎に角、地震(災害)に強く安全な部屋、家に住み、そして日頃から災害に強い自分、家族を形成すること、つまり自助:予防の部分を充実させることにいの一番に努めなければならなにのに、共助や公助:治療の部分ばかりに議論が集中する昨今の防災対策をこの辺で見直さなければならないと改めて強く感じました。