雪害

 大荒れの新潟から飛行機で1時間半、雪の無い福岡へ来ています。
 26年振りという大雪に見舞われ、交通機関が大混乱の新潟、飛行機が欠航になるのでは?と心配しながら自家用車で空港へ赴きました。
 途中北陸道(高速道路)では、3か所で車が雪壁に突っ込んで立ち往生、1車線通行の場所があり渋滞に遭いました。
 高速道路から降りったった一般道は、圧雪が酷く車はガタガタいいながら走っていました。大雪の経験の少ない新潟は、バス路線の道路の除雪もままならず、多くバスが運休しているとのニュースが再三流されていました。

 幸いかな20分ほどの遅れはありましたが、夕方吹雪の中を私を乗せた福岡行きの飛行機は飛び立ちました。
 降り立った福岡はまさに別世界、地面は乾き、空気も乾燥しており、新潟よりも寒いなという感じでしたが、革靴で自由に行き来出来る解放感は、この時期、他所でなければ感じられないものです。
 いつも雪と付き合っている長岡人である私にとっては「雪害」という言葉は余りピンときませんが、雪の余り降らない、そして全く降らない処の人たちにとっては、多少の雪でも大きな不自由、不便を感じ、正に「害」そのものであるように感じられます。
 自然を征し、自然と離れること、即ち「人工」という社会に住み慣れた現代人にとっては、自然の多少の変化にも対応することが難しくなったということを、しみじみ感じさせられた26年振りの新潟の大雪でした。
 雪を含め、風、水、そして地震とうい自然どう付き合うかを考えることが『防災』の初めかと思いました。