都市と地方との絆

hiroshikaro2010-03-07

 昨日、ながおか市民センターで「広域共助と地域信仰を考えるフォーラム」と題して約60名程(首都圏からの参加者と地元方の参加者凡そ半々位)の方々が集まり開催されました。
 「信濃川利根川を結ぶ川を軸としたまちづくりを考える」と題して、新潟大学教授、東京工業大学教授と福祉協会の理事長の3名の方々の鼎談で。大変興味深い内容でした。その鼎談で感じたことを下記します。

1.現在の行政システムの崩壊
 川の管理など例に、これまでの国・県・市の縦割りの上意下達的な行政システムでは既に立ち行かなくなってきている。このシステムだと現場の問題解決がなかなか出来なくなってきている。

2.共助の強調
 自助、共助、公助というが言われ、最近は公の財政難から公助の部分が縮小したためか、共助の部分が大いに強調されているが、公助が崩壊しつつあるのだから、共助ではなく、まずは自助をしっかりしなければという声掛けから始めるべきではないか?

3.自立する人間育成
 自助イコール自立・自律に通じるのではないかと思う。最近の家庭、学校も果たして「自立する人間育成」を目指してやっているのだろうか?近年は世代が若くなればなるほど自立性が乏しくなる傾向にあるのではないか?

4.助けを求められない世代
 日本社会全体が「物質のよる充足感」に浸っているため、自から考え、自ら決める機会が極端に少なくなってしまっているのではないか?同時に、日常生活で困ることも少なく、人に頼むことも少なくなり、人に「頼む術」すら知らない人たちが、困った時に一人で悩み、「助けてくれ〜」とさえ声を発することすらできず、最後には自殺してしまっているのではないか?

5.顔の見える社会はまず身近から
 首都圏からの参加者は「顔の見える社会が大切だ!」と力説すし、まだ顔の見える地方である長岡までへ来て「顔の見える付き合いを!」と言われるが、まずは、身近な自分の住んでいる地域からではなかと思うが?
 或いは、そんなに顔を見える社会を羨望しているのであれば、長岡はじめ地方都市に住めば良いのではないかと思うが?そうならない原因はよく理解できない?

6.行政はやり過ぎでは?
 都会は財政的に豊かで、困ったことは行政が対応してくれているため、社会的な共助の部分は小さくて済む。
 結局、何でも行政にお任せで、「お互いの助け合い」がいらない社会であれば、顔の見える社会など必要ないのではないか?

7.金を取る仕組み
 「お金の掛からない社会:小現金化の社会が理想である」とのこと発言があったが、言い換えれば「みなお互い様の精神で助け合いの社会こそが大切である」との意味かと思う。
 実際今の地方:田舎は、都会に比べお金のかからない社会であると思うが、それは、お金を取る仕組みが確立していないからであり、決して皆がタダで良いと思っている人はいないのではないかと思う。
 逆に、都会は土地も労力も高いのでお金を取る仕組みがきちんと確立しているので、お金が掛かる社会となっているのではないかと思う。

 まとまりのないことを羅列しましたが、何れにしましてもキーワードは政治・教育・経済ではないかと思います。
 これだけ国民から大きな借金をしている国ですので、都会に住む多くの国民が、金のかからない地方へ移住すれば『顔の見える、金のかからない、自殺の少ない』という都会人が求める理想の国家が実現できるのではないかと思いますが???