元死刑囚と元工作員

 一昨日から金賢姫の来日でマスコミは大騒ぎだ。NHKでは元死刑囚、そして新聞記事の配信社:共同通信社は元工作員金賢姫の肩書が違っているが、彼女が23年前に犯した罪を一生涯、十字架の如く背負い続けなければならないことに一寸気の毒なような気がする。
 何故ならば、本来人前にです静かに暮らして居た方が心穏やかに暮らせる筈なのに、敢えて拉致被害者家族の方々と面会し、彼女が知っている事実を話してあげたいという気持で訪日したことに対しては、エールを送りたい。
 そうであれば、過去を引きずるような肩書、特に元死刑囚などという肩書は、そろそろ外してあげても良いのではないかと思うが?
 肩書や職業はその人の資質や人柄を表わすことではない筈なのに、日本ではその肩書が優先されており、肩書で人を判断する傾向が強いようである。
 実際、私も見知らぬ人に電話をする時は「長岡市議会議員の家老です。」と名乗ることの方が「○○会社のカロウ洋です。」と名乗るこよりも断然多い。当然市議会議員と名乗った方が、通りが良いし、相手も親切に対応してくれるので大変便利である。
 昔、海外派遣農業実習生の選考を担当していて、全国で数人しか受からない試験を実施する事前に「山梨県の金丸○○事務所の秘書だが、○○市の○○さんのお嬢さんをを絶対に合格させるように!」との電話が入った。
 それに対して私は「人にお願いするのであればまずきちんと名前を名乗ってください。もし、裏口で合格したいようであれば、こちらに赴いてお願いするのが筋ではないでしょうか?しまし、私たちの選考は、そのような訳の分からない力で左右されるものではありません!」と強く言い切って電話を切ってしまいました。
 訳の分からない肩書で人を判断しては居ないか?肩書に恐れをなしては居ないか?そして逆に自分は肩書を安易に使い過ぎてはいないか?いつも自問自答している。
 蛇足だが、その後、その秘書は憤慨し、農林水産省を通して本会の役員に手を回し、再度○○さんの合格を依頼してきたが、事務局長と私で強く異を唱えて、公正な選考を行ってもらった。